・・・ するすると早や絹地を、たちまち、水晶の五輪塔を、月影の梨の花が包んだような、扉に白く絵の姿を半ば映した。「そりゃ、いけなかろう、お妻さん。」 鴾の作品の扱い方をとがめたのではない、お妻の迷をいたわって、悟そうとしたのである。・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・画工 (枠張のまま、絹地の画を、やけに紐からげにして、薄汚れたる背広の背に負い、初冬、枯野の夕日影にて、あかあかと且つ寂……落第々々、大落第。(ぶらつく体を杖に突掛くる状、疲切ったる樵夫畜生、状を見やがれ。声に驚き、且つ活け・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・二つ蜻蛉が草の葉に、かやつり草に宿をかり、人目しのぶと思えども、羽はうすものかくされぬ、すきや明石に緋ぢりめん、肌のしろさも浅ましや、白い絹地の赤蜻蛉。雪にもみじとあざむけど、世間稲妻、目が光る。 ・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ わあっはっはっ、と無気味妖怪の高笑いのこして立ち去り、おそらくは、生れ落ちてこのかた、この検事局に於ける大ポオズだけを練習して来たような老いぼれ、清水不住魚、と絹地にしたため、あわれこの潔癖、ばんざいだのうと陣笠、むやみ矢鱈に手を握り合っ・・・ 太宰治 「創生記」
・・・それに周囲が白いのと、表装の絹地が寒い藍なので、どう眺めても冷たい心持が襲って来てならない。 子規はこの簡単な草花を描くために、非常な努力を惜しまなかったように見える。わずか三茎の花に、少くとも五六時間の手間をかけて、どこからどこまで丹・・・ 夏目漱石 「子規の画」
・・・片手をすんなりと厚い絹地の服のひだの間にたれ、質素なひだ飾りが二すじほど付いているなりのイエニーの顔は、若い信頼にみちた妻の誠実さと、根本の平安にみちた表情をたたえている。二人の愛のゆるがない調和が流れているけれども、はっきりと外界に向って・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・ジッとして居られない様になってこれまでに一番自分の気に入った絵の絹地の下にかばってもらう様に座った。はれやかな舞子の友禅の袂の下にはあんな力づよいものもよせて来られないと見えて気は段々かるく力が出て来た。哀れなみなし子がその救主を見上げる様・・・ 宮本百合子 「芽生」
出典:青空文庫