・・・しかし自分の眼底にはかの地の山岳、河流、渓谷、緑野、森林ことごとく鮮明に残っていて、わが故郷の風物よりも幾倍の色彩を放っている。なぜだろう?『月光をして汝の逍遙を照らさしめ』、自分は夜となく朝となく山となく野となくほとんど一年の歳月を逍・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・底は一面の白砂に水紋落ちて綾をなし、両岸は緑野低く春草煙り、森林遠くこれを囲みたり。岸に一人の美わしき少女たたずみてこなたをながむる。そのまなざしは治子に肖てさらに気高く、手に持つ小枝をもて青年を招ぐさまはこなたに舟を寄せてわれと共に恋の泉・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・少なくともそこにはかわいた、煩鎖な概念的理窟や、腐儒的御用的講話や、すべて生の緑野から遊離した死骸のようなものはない。しかし文芸はその約束として個々の体験と事象との具象的描写を事とせねばならぬ故、人生全体としての指導原理の探究を目ざすことは・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・垣根ただ一重の内側の緑野は、自分らとは生涯なんの因縁もない別の世界のような気がする。しかしもしかこれで、何かの回り合わせで、自分でゴルフをやり始めたら、また現在とはよほどちがった気持ちで、この緑の草原が見直されることであろう。 ゴルフ場・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・至るところの緑野にポプラや楊の並み木がある。日が暮れかかって、平野の果てに入りかかった夕陽は遠い村の寺塔を空に浮き出させた。さびしい野道を牛車に牧草を積んだ農夫がただ一人ゆるゆる家路へ帰って行くのを見たときにはちょっと軽い郷愁を誘われた。カ・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
出典:青空文庫