・・・ その人の癖らしく矢部はめったに言葉に締めくくりをつけなかった。それがいかにも手慣れた商人らしく彼には思われた。 帳簿に向かうと父の顔色は急に引き締まって、監督に対する時と同じようになった。用のある時は呼ぶからと言うので監督は事務所・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ 年倍なる兀頭は、紐のついた大な蝦蟇口を突込んだ、布袋腹に、褌のあからさまな前はだけで、土地で売る雪を切った氷を、手拭にくるんで南瓜かぶりに、頤を締めて、やっぱり洋傘、この大爺が殿で。「あらッ、水がある……」 と一人の女が金切声・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・時しも、鬱金木綿が薄よごれて、しなびた包、おちへ来て一霜くらった、大角豆のようなのを嬉しそうに開けて、一粒々々、根附だ、玉だ、緒〆だと、むかしから伝われば、道楽でためた秘蔵の小まものを並べて楽しむ処へ――それ、しも手から、しゃっぽで、袴で、・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・戸を締めると出るからな」 細君は帰って終う。岡村が蚊帳を釣ってくれる。予は自ら蒲団を延べた。二人は蚊帳の外で、暫く東京なる旧友の噂をする、それも一通りの消息を語るに過ぎなかった。「君疲れたろう、寝んでくれ給え」岡村はそういって、宿屋の帳・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・三味線を娘から受け取って、調子を締めた。「まるで子供のようだ、わ」吉弥ははにかんで立ち上り、身構えをした。 お袋の糸はなかなかしッかりしている。「わがーアものーオと」の歌につれて、吉弥は踊り出したが、踊りながらも、「何だかき・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・煙草が好きで、いつでも煙管の羅宇の破れたのに紙を巻いてジウジウ吸っていたが、いよいよ烟脂が溜って吸口まで滲み出して来ると、締めてるメレンスの帯を引裂いて掃除するのが癖で、段々引裂かれて半分近くまでも斜に削掛のように総が下ってる帯を平気で締め・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・陸軍の主計官とかで、その人が細君を妾の為めに、非常に虐待したものから、細君は常に夫の無情を恨んで、口惜い口惜いといって遂に死んだ、その細君が、何時も不断着に鼠地の縞物のお召縮緬の衣服を着て紫繻子の帯を〆めていたと云うことを聞込んだから、私も・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・夫婦がかりで薄気味悪いほどサーヴィスをよくしたが、人気が悪いのか新店のためか、その日は十五人客が来ただけで、それもほとんど替刃ばかり、売り上げは〆めて二円にも足らなかった。 客足がさっぱりつかず、ジレットの一つも出るのは良い方で、大抵は・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・と帯締めの打紐を解きつ結びつ。 綱雄といえば旅行先から、帰りがけにここへ立ち寄ると言ってよこしたが、お前はさぞ嬉しかろうなとからかい出す善平、またそのようなことを、もう私は存じませぬ、と光代はくるりと背後を向いて娘らしく怒りぬ。 善・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・武の家は一軒の母屋と一軒の物置とありますが物置はいつも戸が〆切ってあってその上に崕から大きな樫の木がおっかぶさっていますから見るからして陰気なのでございます。母屋も広い割合には人気がないかと思われるばかり、シンとしているのです。家にむかいあ・・・ 国木田独歩 「女難」
出典:青空文庫