・・・ ト舌は赤いよ、口に締りをなくして、奴め、ニヤニヤとしながら、また一挺、もう一本、だんだんと火を移すと、幾筋も、幾筋も、ひょろひょろと燃えるのが、搦み合って、空へ立つ、と火尖が伸びる……こうなると可恐しい、長い髪の毛の真赤なのを見るよう・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・ 心が散乱していて一点に集まらないので、眼は開いたページの上に注がれて、何を読んでいるのか締りがなかった。それでもじッと読みつづけていると、新らしい事件は出て来ないで、レオナドと吉弥とが僕の心をかわるがわる通過する。一方は溢れるばかりの・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・一体苦み走りて眼尻にたるみ無く、一の字口の少し大なるもきっと締りたるにかえって男らしく、娘にはいかがなれど浮世の鹹味を嘗めて来た女には好かるべきところある肌合なリ。あたりを片付け鉄瓶に湯も沸らせ、火鉢も拭いてしまいたる女房おとま、片膝立てな・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・佳い締り金物と見えて音も少く、しかもぴったりと厳重に鎖されたようだった。雲の余りの雪は又ちらちらと降って来た。女は門の内側に置いてあった恐ろしい大きな竹の笠、――茶の湯者の露次に使う者を片手で男の上へかざして雪を避けながら、片手は男の手を取・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・このあたりの溝へ放棄り経綸と申すが多寡が糸扁いずれ天下は綱渡りのことまるまる遊んだところが杖突いて百年と昼も夜ものアジをやり甘い辛いがだんだん分ればおのずから灰汁もぬけ恋は側次第と目端が利き、軽い間に締りが附けば男振りも一段あがりて村様村様・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ こういって感に堪えないように締りのない眉をあげさげする。「年賀はがきの一束は、自分というものの全生涯の一つの切断面を示すものである。人間対人間の関係というものがいかに複雑多様なものであるかを示す模型のようなものである。人情と義理と・・・ 寺田寅彦 「年賀状」
・・・ その夜は吹荒さむ生温い風の中に、夜着の数を減して、常よりは早く床についたが、容易に寝つかれない晩であった。締りをした門を揺り動かして、使いのものが、余を驚かすべく池辺君の訃をもたらしたのは十一時過であった。余はすぐに白い毛布の中から出・・・ 夏目漱石 「三山居士」
・・・ウィリアムは独り立って吾室に帰りて、人の入らぬ様に内側から締りをした。 盾だ愈盾だとウィリアムは叫びながら室の中をあちらこちらと歩む。盾は依然として壁に懸っている。ゴーゴン・メジューサとも較ぶべき顔は例に由って天地人を合せて呪い、過去現・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・島田の根が緩んで、何だか頭に締りがない。顔も寝ぼけている。色沢が気の毒なほど悪い。それで御辞儀をして、どうも何とかですと云ったが、相手はどうしても鏡の中へ出て来ない。 すると白い着物を着た大きな男が、自分の後ろへ来て、鋏と櫛を持って自分・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・続いて父さんが出、一番しまいに母さんが出て、締りを見て、ポケットへ鍵をしまった。父さんは、トトトトト勢よく階段を先へかけ下りて行っちまった。ミーチャだって、もう「十月の児」だ。手になんぞつかまらない。手欄をこすって降りてゆく。(八つから十五・・・ 宮本百合子 「楽しいソヴェトの子供」
出典:青空文庫