・・・たちまちせきをきったように、人々が流れだしてくると、三吉はいそいで坂の中途から小径をのぼって、城内の練兵場の一部になった小公園へきた。それが深水と打ちあわせてある場所で、古びた藤棚の下に石の丸卓があって、雨ざらしのベンチがあった。さて――、・・・ 徳永直 「白い道」
・・・運動場は代々木の練兵場ほど広くて、一方は県社○○○神社に続いており、一方は聖徳太子の建立にかかるといわれる国分寺に続いていた。そしてまた一方は湖になっていて毎年一人ずつ、その中学の生徒が溺死するならわしになっていた。 その湖の岸の北側に・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
その頃の風穂の野はらは、ほんとうに立派でした。 青い萱や光る茨やけむりのような穂を出す草で一ぱい、それにあちこちには栗の木やはんの木の小さな林もありました。 野原は今は練兵場や粟の畑や苗圃などになってそれでも騎兵の馬が光ったり・・・ 宮沢賢治 「二人の役人」
出典:青空文庫