･･･ それでまア、本郷の山本まで引取るなら、旗が五本に人足が十三人……山本と申すのは、晴二郎の姉の縁先きなんでして、その時の棺側が、礼帽の上等兵が四人、士官が中尉がお一人に少尉がお一人……尤も連隊から一里のあいだは、その外に旗が三本、蓮花が･･･ 徳田秋声 「躯」
･･･ がたんがたんと、戸、障子、欄間の張紙が動く。縁先の植込みに、淋しい風の音が、水でも打ちあけるように、突然聞えて突然に断える。学校へ行く時、母上が襟巻をなさいとて、箪笥の曳出しを引開けた。冷えた広い座敷の空気に、樟脳の匂が身に浸渡るよう･･･ 永井荷風 「狐」
･･･厠へ出る縁先の小庭に至っては、日の目を見ぬ地面の湿け切っていること気味わるいばかりである。しかし先生はこの薄暗く湿った家をば、それがためにかえってなつかしく、如何にも浮世に遠く失敗した人の隠家らしい心持ちをさせる事を喜んでいる。石菖の水鉢を･･･ 永井荷風 「妾宅」
･･･庭に飼ってある鶏が一羽縁先から病室へ上って来て菓子鉢の中の菓子を啄みかけたが、二人はそんな事にはかまわず話をつづけた。 わたしが昼間は外国語学校で支那語を学び、夜はないしょで寄席へ通う頃、唖々子は第一高等学校の第一部第二年生で、既に初の･･･ 永井荷風 「梅雨晴」
･･･ この二、三日方々から頻に絵葉書が来る。谷川を前にした温泉宿や松の生えた海辺の写真が来る。友達は皆例の如く避暑に出かけたのだ。しかし自分はまだ何処へも行こうという心持にはならない。 縁先の萩が長く延びて、柔かそうな葉の面に朝露が水晶･･･ 永井荷風 「夏の町」
･･･余が身体を拭いて、茣蓙の敷いてある縁先で、団扇を使って涼んでいると、やがて長谷川君が上がって来た。まず眼鏡をかけて、余を見つけ出して、向うから話しを始めた。双方とも真赤裸のように記憶している。しかし長谷川君の話し方は初対面の折露西亜の政党を･･･ 夏目漱石 「長谷川君と余」
･･･ ――間近に迫った人家の屋根や雨に打れ風に曝された羽目を見、自分の立って居る型ばかりの縁先に眼を移し、その間、僅か十坪に足りない地面に、延び上るようにして生えて居る数本の樹木を見守った時、私は云いようのない窮屈さを感じた。 自然を追･･･ 宮本百合子 「餌」
･･･ 秋の日の三時頃、縁先に立って、斜にのきばから空を見あげて居た。 何処かで大工が物を叩いて居る音が響き、ちいちく、ちちと雀の声が聞える。 日足を擾して、一羽、梧桐の葉かげから、彼方の屋根に飛びうつった。ちちくくとせわしく鳴く･･･ 宮本百合子 「傾く日」
･･･二本の槇は、格子の左右に植え、檜葉は、六畳の縁先に、沈丁、他の一本の槇などは、庭に風情を添えるために、程よく植えた。 庭木は、今年になって、又一本、柔かい、よく草花とあしらう常緑木の一種を殖し、今では、狭い乍ら、可愛ゆい我等の小庭になっ･･･ 宮本百合子 「小さき家の生活」
･･･ その縁先の庭で、もう落ちはじめた青桐の葉っぱを大きな音を立てて掃きよせていたシャツ姿の家の者が、「電車も、たまですが通ってますよ」と云った。この遠縁の若者は、輜重輪卒に行って余り赤ぎれへ油をしませながら馬具と銃器の手入れをした･･･ 宮本百合子 「電車の見えない電車通り」
出典：青空文庫
