・・・飢えに泣いているはずの細民がどうかすると初鰹魚を食って太平楽を並べていたり、縁日で盆栽をひやかしている。 これも別の事であるが流行あるいは最新流行という衣装や粧飾品はむしろきわめて少数の人しか着けていない事を意味する。これも考えてみると・・・ 寺田寅彦 「春六題」
・・・ 去年の夏子供が縁日で松虫を買って来た。そして縁側の軒端に吊しておいた。宵のうちには鈴を振るような音がよく聞こえたが、しかしどうかするとその音がまるで反対の方向から聞こえるように思われた。不思議だと思って懐中時計の音で左右の耳の聴力を試・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・また年末には夜店に梅の鉢物が並べられ、市中諸処の縁日にも必ず植木屋が出ていた。これを見て或人はわたしの説を駁して、現代の人が祖国の花木に対して冷淡になっているはずはないと言うかも知れない。しかしわたくしの見る処では、これは前の時代の風習の残・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ 私は小学校へ行くほどの年齢になっても、伝通院の縁日で、からくりの画看板に見る皿屋敷のお菊殺し、乳母が読んで居る四谷怪談の絵草紙なぞに、古井戸ばかりか、丁度其の傍にある朽ちかけた柳の老木が、深い自然の約束となって、夢にまで私をおびえさせ・・・ 永井荷風 「狐」
・・・華美な浴衣を着た女たちが大勢、殊に夜の十二時近くなってから、草花を買いに出るお地蔵さまの縁日は三十間堀の河岸通にある。 逢うごとにいつもその悠然たる貴族的態度の美と洗錬された江戸風の性行とが、そぞろに蔵前の旦那衆を想像せしむる我が敬愛す・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・ そもそも私に向って、母親と乳母とが話す桃太郎や花咲爺の物語の外に、最初のロマンチズムを伝えてくれたものは、この大黒様の縁日に欠かさず出て来たカラクリの見世物と辻講釈の爺さんとであった。 二人は何処から出て来るのか無論私は知らない。・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・ 下町の女の浴衣をば燈火の光と植木や草花の色の鮮な間に眺め賞すべく、東京の町には縁日がある。カンテラの油煙に籠められた縁日の夜の空は堀割に近き町において殊に色美しく見られる。自分は毎年のようにこの年の夏も東京に居残りはしまいか。 も・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・小屋掛の様子からどうしてもむかし縁日に出たロクロ首の見世物も同じらしく思われたので、わたくしは入らずにしまった。このエロス祭とよく似ていたのは日本館の隣の空地でやっていた見世物である。黒眼鏡をかけた女がその首だけを台の上に載せ、その身体は見・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・、五貫に負けろと値切っても相談にならなかったので、帰りに、じゃ六貫やるから負けろと云ってもやっぱり負けなかった、今年は水で菊が高いのだと説明した、ベゴニアを持って来た人の話を思い出して、賑やかな通りの縁日の夜景を頭の中に描きなどして見た。・・・ 夏目漱石 「変な音」
・・・ 小道具でも、何んでもが、小綺麗になって、置床には、縁日の露店でならべて居る様な土焼の布袋と、つく薯みたいな山水がかかって居た。 お金は、すっかり片づけて来て、兄の前にぴったりと平ったく座ると、急にあらたまった口調で、無沙汰の詫やら・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
出典:青空文庫