イエスが十字架につけられて、そのとき脱ぎ捨て給いし真白な下着は、上から下まで縫い目なしの全部その形のままに織った実にめずらしい衣だったので、兵卒どもはその品の高尚典雅に嘆息をもらしたと聖書に録されてあったけれども、 妻・・・ 太宰治 「小志」
・・・然しながら数日の後に其の接眼の縫目が化膿した為めに――恐らく手術の時に消毒が不完全だったのだろうと云う説が多数を占めている――彼女は再び盲目になって了ったそうである。当時親しく彼女を知っていた者が後に人に語って次のような事を云った。 ―・・・ 太宰治 「女人訓戒」
・・・りの細胞は舞上り舞下りて闇黒の中に無形の譜を作りて死を讚美し祝し―― おどり狂う――大鎌をうちふりうちふりてなぎたおされんものをあさりつつ死は音もなく歩み頭蓋の縫目より呪文をとなえ底なき瞳は世のす・・・ 宮本百合子 「片すみにかがむ死の影」
・・・ のびのびとした、ねぼけたような春の日光は縫目にしらみの行列の有りそうな袷の背中をてらして居る。妙に骨ばった、くされかたまったような足の十ならんだ指を見て居ると、この指と指とのはなれたすきから、昼はねて夜になって人間の弱身につけ込んで、・・・ 宮本百合子 「ピッチの様に」
・・・肩の縫目の一寸ずったような絹服を着て非常に陽気な若い女づれ。花壇をいちいち眺めながら歩く指の太い婆さんと息子づれ。――日曜日の午後ハイド・パアクはハイド・パアクの附近に住みながら一週に一遍だけそこを散歩出来る連中――事務員。料理女。いろいろ・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
・・・千人針を持って、電車の中や駅の前や勤務先などで縫って貰っている若い女性達は、その一つ一つの縫目にどんな想いを籠めていたことだろう。人間としてのさまざまの重い経験、苦痛と疑問とは、総ての家庭、総ての婦人、男子の心に等しく目覚めていたのであるけ・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫