・・・板谷峠の奥に、大きい谿川が流れて居る。飛沫をあげて水の流れ下る巖角に裾をまくった父が悠々此方を向いて跼んで居る。風で、彼方の崖の樹が戦ぐ。その時、川瀬の音を縫い乍ら、静かに聞えた藪鶯のホーホケキョ。――午後が、ひどくひっそりと永く感じられた・・・ 宮本百合子 「木蔭の椽」
・・・私は凍らず天をみない落差ます/\はげしく一樹なく人工の浪漫なくおもむきなく世の規定を知らずとび落ちようおのが飛沫の中にかゞやき落ちようおゝ詩はやわらかい言葉のためにあるのではないわがうたは社交と虚礼のため・・・ 宮本百合子 「『静かなる愛』と『諸国の天女』」
・・・だが、それらは今思えばどれも熾な生活力に充ちた親たちの性格があげた波の飛沫で、私はそのしぶきをずっぷりと浴びつつ、自分も、あの波この波をその波のうねりに加えながら、暗い廊下を自分の小部屋へ引き上げて来る。その廊下の暗さが独特によかった。部屋・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・ 行けば行くほど広くなる谿は、いつの間にか、白楊や樫や、糸杉などがまるで、満潮時の大海のように繁って、その高浪の飛沫のように真白な巴旦杏の花が咲きこぼれている盆地になりました。 そして、それ等の樹々の奥に、ジュピタアでもきっと御存じ・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・Yの靴下から、服、ケープの肩のところまで、泥の飛沫が一杯ついている。Y、つかつか床几の処へ行った。「何した」「――」「こんな悪戯する奴があるか」 悪童は、すっぱりと一つ喰らわされた。Yの洋装に田舎の子らしい反感を持ったのと、・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・ 風俗の心理というものは、このどちらかの一方にだけ範囲を限ってそれぞれのものがあるのではなくて、日常生活における二つの面の錯綜、二つの波頭がうち当って飛沫をあげるところに生じるのであり、その飛沫も天へは消えず自然下へおちなければならない・・・ 宮本百合子 「風俗の感受性」
・・・ バルザックの作品の深さ大さにふれるとき、私たちは作家バルザックの個人としての生活力の逞しさ旺盛さに面を打たれ、同時に十九世紀のフランスという時代の力づよい飛沫を顔に浴びる。 ドライサアの作品が感じさせる底なしのようなアメリカ生活の・・・ 宮本百合子 「文学の大陸的性格について」
・・・ 勝気らしくステッキをぐっと倒して深く砂を掘り起した拍子に、力が余り、ステッキの先で強く海水を叩きつけた。飛沫が容赦なく藍子のかがんでいる顔や前髪にかかった。「はっはっはっ、こりゃ愉快だ」「生意気にこんな海でも塩っからい」 ・・・ 宮本百合子 「帆」
・・・彼らは折からの鰹が着くと飛沫を上げて海の中へ馳け込んだ。子供たちは砂浜で、ぶるぶる慄える海月を攫んで投げつけ合った。舟から樽が、太股が、鮪と鯛と鰹が海の色に輝きながら溌溂と上って来た。突如として漁場は、時ならぬ暁のように光り出した。毛の生え・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫