・・・のを思い出した。また、それがないにしても、その時にはもう私も、いつか子爵の懐古的な詠歎に釣りこまれて、出来るなら今にも子爵と二人で、過去の霧の中に隠れている「一等煉瓦」の繁華な市街へ、馬車を駆りたいとさえ思っていた。そこで私は頭を下げながら・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・は、ちょうど美しい蛾の飛び交うように、この繁華な東京の町々にも、絶え間なく姿を現しているのです。従ってこれから私が申上げようと思う話も、実はあなたが御想像になるほど、現実の世界と懸け離れた、徹頭徹尾あり得べからざる事件と云う次第ではありませ・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
海に近く、昔の城跡がありました。 波の音は、無心に、終日岸の岩角にぶつかって、砕けて、しぶきをあげていました。 昔は、このあたりは、繁華な町があって、いろいろの店や、りっぱな建物がありましたのですけれど、いまは、荒れて、さびし・・・ 小川未明 「海のかなた」
・・・ またある繁華な雑沓をきわめた都会をケーが歩いていましたときに、むこうから走ってきた自動車が、危うく殺すばかりに一人のでっち小僧をはねとばして、ふりむきもせずゆきすぎようとしましたから、彼は袋の砂をつかむが早いか、車輪に投げかけました。・・・ 小川未明 「眠い町」
・・・と、宝石商は、昔の繁華な姿を目に思いうかべてたずねました。「みんなちりぢりになってしまったのです。そのとき、死んだ人もたくさんありました。また、ここからもっと南の方の町に移ったものもございます。」と、その人はいいました。 宝石商は、・・・ 小川未明 「宝石商」
・・・また、二十世紀の科学的文明が世界の幾千の都会に光りと色彩の美観を添え、益々繁華ならしめんとする余沢も蒙っていない。たゞ千年前の青い空の下に、其の時分の昔の人も、こうして住んでいたというより他に思われない極めて単純な、自然の儘の質朴な生活をつ・・・ 小川未明 「夕暮の窓より」
・・・已むなく自ら出向いて、御霊神社あたりの繁華な場所に立って一枚一枚通行人に配った。そして、いちはやく馳せ戻り、店に坐って、客の来るのを待ち受けるのだった。しかし、たいして繁昌りもしなかった……。 繁昌らぬのも道理だ。家伝薬だというわけ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ 私たちの乗る車はさらに日本橋手前の方角を取って、繁華な町の中を走って行った。私は風呂敷包みを解いて、はじめて手にするほどの紙幣の束の中から、あの太郎あてに送金する分だけを別にしようとした。不慣れな私には、五千円の札を車の上で数えるだけ・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・もとはこんなぐあいに繁華であったのであろうが、いまは、たいへんさびれてしまった。魚河岸が築地へうつってからは、いっそう名前もすたれて、げんざいは、たいていの東京名所絵葉書から取除かれている。 ことし、十二月下旬の或る霧のふかい夜に、この・・・ 太宰治 「葉」
・・・ 大津波が来るとひと息に洗い去られて生命財産ともに泥水の底に埋められるにきまっている場所でも繁華な市街が発達して何十万人の集団が利権の争闘に夢中になる。いつ来るかもわからない津波の心配よりもあすの米びつの心配のほうがより現実的であるから・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
出典:青空文庫