・・・手にものなき一人、一方に向い、凧の糸を手繰る真似して笑う。画工 (枠張のまま、絹地の画を、やけに紐からげにして、薄汚れたる背広の背に負い、初冬、枯野の夕日影にて、あかあかと且つ寂……落第々々、大落第。(ぶらつく体を杖に突掛くる状、疲・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・女が手を離すのと、笊を引手繰るのと一所で、古女房はすたすたと土間へ入って行く。 私は腕組をしてそこを離れた。 以前、私たちが、草鞋に手鎌、腰兵粮というものものしい結束で、朝くらいうちから出掛けて、山々谷々を狩っても、見た数ほどの蕈を・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ と、うっかりらしく手に持った女の濡手拭を、引手繰るようにぐいと取った。「まあ。」「ばけもののする事だと思って下さい。丑満時で、刻限が刻限だから。」 ほぼその人がらも分ったので、遠慮なしに、半調戯うように、手どころか、するす・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・近間ではあるし、ここを出たら、それこそ、ちちろ鳴く虫が糸を繰る音に紛れる、その椎樹――(釣瓶(小豆などいう怪ものは伝統的につきものの――樹の下を通って見たかった。車麩の鼠に怯えた様子では、同行を否定されそうな形勢だった処から、「お町さん、念・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・正直な満蔵は姉にどなられて、いつものように帯締めるまもなく半裸で雨戸を繰るのであろう。「おっかさんお早うございます。思いのほかな天気になりました」 満蔵の声だ。「満蔵、今日は朝のうちに籾を干すんだからな、すぐ庭を掃いてくれろ」・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・と女は引手繰るように言って、「お世辞なんてあんまりだよ! 私ゃそんなつもりじゃない。そりゃなるほど、口へ出しては別にこうと言ったことはないけれど、私ゃお前さんの心も知っていたし、私の心もお前さんは知っていておくれだったろう。それだのに、今さ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 窓の戸を繰ると、あらたかな日の光が部屋一杯に射し込んだ。まぶしい世界だ。厚く雪を被った百姓家の茅屋根からは蒸気が濛々とあがっていた。生まれたばかりの仔雲! 深い青空に鮮かに白く、それは美しい運動を起こしていた。彼はそれを見ていた。・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・そういうところへ誰かが出て来ると、さあ周章て鉄砲を隠す、本を繰る、生憎開けたところと読んで居るところと違って居るのが見あらわされると大叱言を頂戴した。ああ、左様々々、まだ其頃のことで能く記臆して居ることがあります。前申した會田という人の許へ・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・閉めてあった雨戸を繰ると、対岸の崖の上にある村落、耕地、その下を奔り流れる千曲川が青畳の上から望まれた。 高瀬は欄のところへ行って、川向うから伝わって来る幽かな鶏の声を聞いた。先生も一緒に立って眺めた。「高瀬さん、この家は見覚えがあ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・もこの黙殺の仕方は、少しも高慢の影は無く、ひとりひとり違った心の表情も認められず、一様にうつむいてせっせと事務を執っているだけで、来客の出入にもその静かな雰囲気は何の変化も示さず、ただ算盤の音と帳簿を繰る音が爽やかに聞こえて、たいへん気持の・・・ 太宰治 「東京だより」
出典:青空文庫