・・・ 私は、枕草紙の、ペエジを繰る。「心ときめきするもの。――雀のこがひ。児あそばする所の前わたりたる。よき薫物たきて一人臥したる。唐鏡の少しくらき見いでたる。云々。」私、自分の言葉を織ってみる。「目にはおぼろ、耳にもさだかならず、掌中に掬・・・ 太宰治 「めくら草紙」
・・・ 一冊の書物を読むにしても、ページをパラパラと繰るうちに、自分の緊要なことだけがページから飛び出して目の中へ飛び込んでくれたら、いっそう都合がいいであろう。これはあまりに虫のよすぎる注文であるが、ある度までは練習によってそれに似たことは・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・ちょうどそのころに枕もとのガラス窓――むやみに丈の高い、そして残忍に冷たい白の窓掛けをたれた窓の外で、キュル、キュル/\/\と、糸車を繰るような濁ったしかし鋭い声が聞こえだす。たぶんそれは雀らしい。いったいこの寒い夜中をどんな所にどうして寝・・・ 寺田寅彦 「病院の夜明けの物音」
・・・雷鳴の音の波の振幅は多くの場合に耳の近くで雨戸を繰る音に比べて大きなものではないのに雷の音は著しく大きいと考えるのはやはり直接の感官を無視して音響の強度の距離と共に感ずる物理的方則を標準としているのである。 このような事は別に取り立てて・・・ 寺田寅彦 「物理学と感覚」
・・・この将校の顔から髪から髯からページを繰る手つきから、大きく肥った指先までが、その書物と自然に調和して全体が一つのまとまった絵になっていた。今の日本の書物はどことなくイギリスやアメリカくさいところがある、そして昔の経書や黄表紙がちょんまげや裃・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・そして、愛するYが、時間と金とを魔術のように遣り繰る技能に、一段の研磨の功を顕しますように。〔一九二六年八月〕 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・本の頁を繰るたびに、弱い赤っぽい焔は揺れ、顫える。ひどく臭く、煙は目にしみた。けれどもこういう不便は彼の前に次第に拡がりゆく世界の知識に対する歓喜の前には、決して堪えられぬものではなかった。本と一緒にいる時だけゴーリキイがそこから逃げ出した・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
出典:青空文庫