・・・が、大勢は終に滔々として渠らを置去りにした。 かかる折から卒然崛起して新文学の大旆を建てたは文学士春廼舎朧であった。世間は既に政治小説に目覚めて、欧米文学の絢爛荘重なるを教えられて憧憬れていた時であったから、彼岸の風を満帆に姙ませつつこ・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・ 蒸気船の汽笛の音をきいた途端に、逐電しやがったとわかり、薄情にもほどがあると、すぐあとを追うて、たたきのめしてくれようと、一旦は起ち上がったが、まさか婆さんを置き去りにするわけにもいかず、折柄、「――古座谷はん、済まへんけど、しし・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・さてこそ置去り…… と思うと、慄然として、頭髪が弥竪ったよ。しかし待てよ、畑で射られたのにしては、この灌木の中に居るのが怪しい。してみればこれは傷の痛さに夢中で此処へ這込だに違いないが、それにしても其時は此処まで這込み得て、今は身動もな・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・ 私は私の置き去りにして来た憂鬱な部屋を思い浮かべた。そこでは私は夕餉の時分きまって発熱に苦しむのである。私は着物ぐるみ寝床へ這入っている。それでもまだ寒い。悪寒に慄えながら秋の頭は何度も浴槽を想像する。「あすこへ漬ったらどんなに気持い・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・私は泣くこともわめくこともできません、これは皆な罰だと思いますと、母のやつれた姿や、孕んだまま置き去りにして来たお幸の姿などが眼の前に現われるのでございます。 役所は免められ、眼はとうとう片方が見えなくなり片方は少し見えても物の役には立・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・モーパサンの小説に、或男が内縁の妻に厭気がさしたところから、置手紙か何かして、妻を置き去りにしたまま友人の家へ行って隠れていたという話があります。すると女の方では大変怒ってとうとう男の所在を捜し当てて怒鳴り込みましたので男は手切金を出して手・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・すると作蔵君はよほど仰天したと見えやして助けてくれ、助けてくれと褌を置去りにして一生懸命に逃げ出しやした……」「こいつあ旨え、しかし狸が作蔵の褌をとって何にするだろう」「大方睾丸でもつつむ気だろう」 アハハハハと皆一度に笑う。余・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・もしここの亭主が詐欺師であって我輩を置き去りにして荷物だけ取って行ったとすれば我輩はアンポンタンの骨頂でさぞかし人に笑われるだろうと気がついた。やがて門の戸のあく音がする。帰ったらしい。まずアンポンタンにならずにすんだ。ありがたいと寝る。・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・世の男女或は此賭易き道理を知らずして、結婚は唯快楽の一方のみと思い却て苦労の之に伴うを忘れて、是に於てか男子が老妻を捨てゝ妾を飼い、婦人が家の貧苦を厭うて夫を置去りにするなどの怪事あり。畢竟結婚の契約を重んぜざる人非人にこそあれ。慎しむ可き・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
出典:青空文庫