・・・ 私は蓄音機や活動写真器械で置き換え得られるような講義はほんとうの意味の教育的価値のないものだろうと思っている。もし講義の内容が抜け目なく系統的に正確な知識を与えさえすればいいとならば、何も器械の助けを借りるまでもなくその教師の書いた原・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・芭蕉は白露と水光との饒舌を惜しげなく切り取って、そのかわりに姿の見えぬ時鳥の声を置き換えた。これは俳諧がカッティングの芸術であり、モンタージュの芸術であることを物語る手近な一例に過ぎない。 俳諧は截断の芸術であることは生花の芸術と同様で・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・しかしそれはただ一つの疑問を他の言葉で置き換えたに過ぎない。実際の明白な区別は、やはり両者を顕微鏡で検査してみて始めてわかるのではあるまいか。一方はただ不規則な乾燥したそして簡単な繊維の集合か、あるいは不規則な凹凸のある無晶体の塊であるのに・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
・・・が、この場合には立派に科学的の言葉で置き換えられるのである。 人間がけがをしたり、遺失物をしたり、病気が亢進したり、あるいは飛行機がおちたり汽車が衝突したりする「悪日」や「さんりんぼう」も、現在の科学から見れば、単なる迷信であっても、未・・・ 寺田寅彦 「藤の実」
・・・かつて横光利一が第四人称の私を発明した時既に生産文学に於ける人間と物との置き換えの準備がされたのであったといえば、「紋章」の作者は意外に感じるであろうか。 私小説的境地からの脱出として社会文学ということがいわれた時、文学は作者と作品の世・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
出典:青空文庫