・・・学者はこの椎の葉にさまざまの美名を与えるであろう。が、無遠慮に手に取って見れば、椎の葉はいつも椎の葉である。 椎の葉の椎の葉たるを歎ずるのは椎の葉の笥たるを主張するよりも確かに尊敬に価している。しかし椎の葉の椎の葉たるを一笑し去るよりも・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・私は自分の不安な此の行動に、少年救済という美名を附して、わずかに自分で救われていた。溺れかけている少年を目前に見た時は、よし自分が泳げなくとも、救助に飛び込まなければならぬ。それが市民としての義務だ、と無理矢理自分に思い込ませるように努力し・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・の「愛」の字、「性的愛」の「愛」の字が、気がかりでならぬのである。「愛」の美名に依って、卑猥感を隠蔽せんとたくらんでいるのではなかろうかとさえ思われるのである。「愛」は困難な事業である。それは、「神」にのみ特有の感情かも知れない。人間が・・・ 太宰治 「チャンス」
・・・批判を国家的に膨脹して、自己の勢力を張るの具となすならば、政府はまた文芸委員を文芸に関する最終の審判者の如く見立てて、この機関を通して、尤も不愉快なる方法によって、健全なる文芸の発達を計るとの漠然たる美名の下に、行政上に都合よき作物のみを奨・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・軍部の煽動にのって若い女性が、明日にかくされている生活の破滅に向ってヒロイズムでごまかされないように、戦争的美名にかくされた資本主義の搾取の現実を見とおすように、荒くれたかぶった世間の気風のうちに、ひとすじの人間らしさと、その発展のための努・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十五巻)」
・・・人類の理性と意志とは、様々な架空の名目、美名で人民同士が互に殺戮しあうような偽瞞の誇りや愛国心にまどわされていてはならない。戦争で底の底までの被害をうけたのは、どこの国でも、人民男女とその子供たちであった。その損害から恢復するための援助とい・・・ 宮本百合子 「戦争はわたしたちからすべてを奪う」
・・・しかれどもこの美名の下に隠れたる「美ならざる」者ははたして存在せざるか。向陵の歴史は栄あるものであろう。しかれどもこの影に潜める悪習慣を見よ! 吾人はあえて一二の例を取る。そもそもかのストームは何であるか。かつて初めて向陵の人となり今村先生・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫