・・・ところが今日の美味さ! 本当の別製だ。どうか自分の同胞たちを救けたいとか、親や妻子、良人ばかりは生かせたいとか、奇妙な願いに充ちているので、さながら甘露の味いがする。ヴィンダー こせついていた都会も、これで少しはからりと焼原になったな。・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・ 家に帰って空腹に美味な晩食をとり、湯を浴び、熟睡して、更に新鮮な月曜日を迎えるのです。 勿論、右のようなのは生活の大体の筋書で、例外も起れば、風雲啻ならないような場合もありましょう。けれども、このR氏夫妻のみならず、真個におのおの・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
・・・ 私のわきで婆さんも見て居たものと見えて、「あないにして食うても、美味かんべえかなあ。何も彼も餓鬼等の中がいっちええわ、なあ、お前様。 お前様みたいな方は、若いうちも年取りなっても同じなんべえけど、己等みたいなものは、婆にな・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・そうすると山海の美味が前に並ぶのだ。」「分からないね。箕村というのは誰だい。それにお梅さんという人はどうしてそんなに息張っているのだい。」「そりゃ息張っていますとも。床の間の前へ行って据わると、それ、御託宣だと云うので、箕村は遥か下・・・ 森鴎外 「独身」
・・・嘘ほど美味なものはなくなった。嘘を蹴落す存在から、もし文学が嘘を加護する守神となって現れたとき、かの大いなる酒神は世紀の祭殿に輝き出すであろう。嘘とは恐喝の声である。貧、富、男、女、四騎手の雑兵となって渦巻く人類からその毒牙を奪う叱咤である・・・ 横光利一 「黙示のページ」
・・・その下に美味な果肉がある。すなわち民族全体は、最も小さい子供から最も年長の老人に至るまで、その身ぶり、動作、礼儀などに、自明のこととして明白な差別や品位や優美などを現わしていた。王侯や富者の家族においても、従者や奴隷の家族においても、その点・・・ 和辻哲郎 「アフリカの文化」
・・・この種の享楽の能力は、嗅覚と味覚の鈍麻した人が美味を食う時と同じく、零に近いほどに貧弱である。 放蕩者は一般に享楽人と認められる。しかし放蕩者のうちに右のごとき貧弱な享楽人の多いことは疑えない。芸妓の芸が音曲舞踊の芸ではなくして枕席の技・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
・・・そこで打ち砕いた殻のなかに美味な漿液のあることを悟る機会が予の前に現われた。予はそれをつかむとともに豊富な人性の内によみがえった。―― そこに危機があった。そうして突破があった。この体験から予の警告は生まれたのである。五・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
出典:青空文庫