・・・ ただ夫人は一夜の内に、太く面やつれがしたけれども、翌日、伊勢を去る時、揉合う旅籠屋の客にも、陸続たる道中にも、汽車にも、かばかりの美女はなかったのである。明治三十六年五月 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・もみじを切出したのを、三重、七重に――たなびかせた、その真中に、丸太薪を堆く烈々と燻べ、大釜に湯を沸かせ、湯玉の霰にたばしる中を、前後に行違い、右左に飛廻って、松明の火に、鬼も、人も、神巫も、禰宜も、美女も、裸も、虎の皮も、紅の袴も、燃えた・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・が、いかな事にも、心を鬼に、爪を鷲に、狼の牙を噛鳴らしても、森で丑の時参詣なればまだしも、あらたかな拝殿で、巫女の美女を虐殺しにするようで、笑靨に指も触れないで、冷汗を流しました。…… それから悩乱。 因果と思切れません……が、・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・ 紫玉のみはった瞳には、確に天際の僻辺に、美女の掌に似た、白山は、白く清く映ったのである。 毛筋ほどの雲も見えぬ。 雨乞の雨は、いずれも後刻の事にして、そのまま壇を降ったらば無事だったろう。ところが、遠雷の音でも聞かすか、暗転に・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ 清水に洗濯した美女の写真は、ただその四五枚めに早く目に着いた。円髷にこそ結ったが、羽織も着ないで、女の児らしい嬰児を抱いて、写真屋の椅子にかけた像は、寸分の違いもない。 こうした写真は、公開したもおなじである。産の安らかさに、児の・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・この心は、美女に対して、熟柿臭きを憚るなり。人形の竹を高く引えい。夫人、樹立の蔭より、半ば出でてこの体を窺いつつあり。人形使 えい。えい。夫人 (次第に立出で、あとへ引爺さん、爺さん。人形使 (丈高く、赤き面夫人・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・そして予はいま上代的紅顔の美女に中食をすすめられつついる。予はさきに宿の娘といったが、このことばをふつうにいう宿屋の娘の軽薄な意味にとられてはこまる。 予の口がおもいせいか、娘はますますかたい。予はことばをおしだすようにして、夏になれば・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・ひとの羨むような美女でも、もし彼女がウェーブかセットを掛けた直後、なまなましい色気が端正な髪や生え際から漂っている時は、私はよしんば少しくらい惚れていても、顔を見るのもいやな気がする。私は今では十五分も女が待てない。女とそれきり会えないと判・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・して現わしたようなものであったり、あるいは強くて情深くて侠気があって、美男で智恵があって、学問があって、先見の明があって、そして神明の加護があって、危険の時にはきっと助かるというようなものであったり、美女で智慮が深くて、武芸が出来て、名家の・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・手の室に、忍びやかにはしても、男の感には触れる衣ずれ足音がして、いや、それよりも紅燭の光がさっと射して来て、前の女とおぼしいのが銀の燭台を手にして出て来たのにつづいて、留木のかおり咽せるばかりの美服の美女が現われて来た。が、互に能くも見交さ・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
出典:青空文庫