・・・それは、自分の生活とはきりはなして雨を眺め、春雨はやさしく柳の糸をぬらしています云々のいわゆる美文的作文である。 然し、この美文的作文が自然描写の場合には非常に多くのパーセントを占めている。そのことは過去の文学の大きい一つの特徴として、・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
・・・ ツルゲーネフの諸作品が、所謂「美文学」としてハンディキャップをつけてよまれ、一方チェルヌイシェフスキイの「何を為すべきか」が行動の指針として有能な若い男女の間で読まれたということも、おのずから今日肯けるのである。 ツルゲーネフとト・・・ 宮本百合子 「ツルゲーネフの生きかた」
・・・金色夜叉の技巧的美文が出来ざるを得ない自然だ。――都会人の観賞し易い傾向の勝景――憎まれ口を云えば、幾らか新派劇的趣味を帯びた美観だ。小太郎ケ淵附近の楓の新緑を透かし輝いていた日光の澄明さ。 然し、塩原は人を飽きさす点で異常に成功してい・・・ 宮本百合子 「夏遠き山」
・・・、それらの芸術の逸品に籠っている高い気品、精魂、芳香に面をうたれて、今更に古典の美を痛感すると一緒に分別をも失って、それぞれの芸術のつくられた環境の意味と今日の私たちの現実との関係を見失った欽仰讚美の美文をつらねる流行をも生じた。私は俳諧の・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・のようにきょうの一般の現実には失われた世界の常識にぬくもって、美文に支えられているとき、野上彌生子が、「迷路」にとりくんでいることは注目される。「青鞜」の時代、ソーニャ・コヴァレフスカヤの伝記をのせたが、青鞜の人々の行動の圏外にあった野上彌・・・ 宮本百合子 「婦人作家」
・・・的な意味での社会性を余り持たなかったため、例えば、保田与重郎氏が、先頃和泉式部論をかいて、藤岡博士の和泉式部観に反対し、結局は筆者自身、このよさが分らないものにこのよさは分らない、というような主観的な美文的叙述をしていても、恐らく本当の国文・・・ 宮本百合子 「文学上の復古的提唱に対して」
出典:青空文庫