・・・ 正面の高い所にあった曲きょくろくは、いつの間にか一つになって、それへ向こうをむいた宗演老師が腰をかけている。その両側にはいろいろな楽器を持った坊さんが、一列にずっと並んでいる。奥の方には、柩があるのであろう。夏目金之助之柩と書いた幡が・・・ 芥川竜之介 「葬儀記」
・・・これから老師さんへ独参に行ってくるから」と、娘に言った。「もう九時でしょう」「何時だってかまわない……」 私はこう言って羽織と足袋を脱ぎ、袴をつけて、杉の樹間の暗い高い石段を下り、そこから隣り合っている老師のお寺の石段を、慄える・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・しかるに学殖の富衍なる、老師宿儒もいまだ及ぶに易からざるところのものあり。まことに畏敬すべきなり。およそ人の文辞に序する者、心誠これを善め、また必ず揚※をなすべきあり。しからずんば、いたずらに筆を援りて賛美の語をのべ、もって責めを塞ぐ。輓近・・・ 中江兆民 「将来の日本」
・・・ 老師に会うのは約二十年ぶりである。東京からわざわざ会いに来た自分には、老師の顔を見るや否や、席に着かぬ前から、すぐそれと解ったが先方では自分を全く忘れていた。私はと云って挨拶をした時老師はいやまるで御見逸れ申しましたと、改めて久濶を叙・・・ 夏目漱石 「初秋の一日」
出典:青空文庫