・・・のみならずしまいには夫よりも実は達雄を愛していたと考えるようになるのですね。好いですか? 妙子を囲んでいるのは寂しい漢口の風景ですよ。あの唐の崔さいこうの詩に「晴川歴歴漢陽樹 芳草萋萋鸚鵡洲」と歌われたことのある風景ですよ。妙子はとうとうも・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・そのために、自分の家の会計を調べる時でも、父はどうかするとちょっとした計算に半日もすわりこんで考えるような時があった。だから彼が赤面しながら紙と鉛筆とを取り上げたのは、そのまま父自身のやくざな肖像画にも当たるのだ。父は眼鏡の上からいまいまし・・・ 有島武郎 「親子」
・・・何処かへ出ていても、飯時になれあ直ぐ家のことを考える。あれだけでも僕みたいな者にゃ一種の重荷だよ。それよりは何処でも構わず腹の空いた時に飛び込んで、自分の好きな物を食った方が可じゃないか。何でも好きなものが食えるんだからなあ。初めの間は腹の・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・……だから私――まじめに町の中を持ったんだけれど、考えると――変だわね。」「いや、まじめだよ。この擂粉木と杓子の恩を忘れてどうする。おかめひょっとこのように滑稽もの扱いにするのは不届き千万さ。」 さて、笛吹――は、これも町で買った楊・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・いまからでかけてきょうじゅうに帰ってこられるかしらなどと考える。外のようすは霧がおりてぼんやりとしてきた。娘はふたたびあがってきて、舟子が待っておりますでございますと例のとおりていねいに両手をついていう。「どうでしょう、雨になりはします・・・ 伊藤左千夫 「河口湖」
・・・おッ母さんだッて、抜かりはないが、向うがまだ険呑がっていりゃア、考えるのも当り前だア、ね」「何が当り前だア、ね? 初めから引かしてやると言うんで、毎月、毎月妾のようにされても、なりたけお金を使わせまいと、わずかしか小遣いも貰わなかったん・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 考えるとコッチはマダ無名の青年で、突然紹介状もなしに訪問したのだから一応用事を尋ねられるのが当然であるのに、さも侮辱されたように感じて向ッ腹を立てた。然るに先方は既に一家を成した大家であるに、ワザワザ遠方を夜更けてから、挨拶に来られた・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
私は母の愛というものに就いて考える。カーライルの、母の愛ほど尊いものはないと云っているが、私も母の愛ほど尊いものはないと思う。子供の為めには自分の凡てを犠牲にして尽すという愛の一面に、自分の子供を真直に、正直に、善良に育てゝ行くという・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・そっと仰向きに寝たまま、何を考える精もなく、ただ目ばかりパチクリ動かしていた。 見るともなく見ると、昨夜想像したよりもいっそうあたりは穢ない。天井も張らぬ露きだしの屋根裏は真黒に燻ぶって、煤だか虫蔓だか、今にも落ちそうになって垂下ってい・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ちくさい女で、買いぐいの銭などくれなかったから、私はふと気前のよかった浜子のことを想いだして、新次と二人でそのことを語っていると、浜子がまるで生みの母親みたいに想われて、シクシク泣けてきたとは、今から考えると、ちょっと不思議でした。玉子は背・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫