・・・を読んだり、造花の百合を眺めたりしながら、新派悲劇の活動写真の月夜の場面よりもサンティマンタアルな、芸術的感激に耽るのである。 桜頃のある夜、お君さんはひとり机に向って、ほとんど一番鶏が啼く頃まで、桃色をしたレタア・ペエパアにせっせとペ・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・実三分の一は茶器である、然るにも係らず、徒に茶器を骨董的に弄ぶものはあっても、真に茶を楽む人の少ないは実に残念でならぬ、上流社会腐敗の声は、何時になったらば消えるであろうか、金銭を弄び下等の淫楽に耽るの外、被服頭髪の流行等極めて浅薄なる・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・そして、月の明るく照す晩に、海の面に浮んで岩の上に休んでいろいろな空想に耽るのが常でありました。「人間の住んでいる町は、美しいということだ。人間は、魚よりもまた獣物よりも人情があってやさしいと聞いている。私達は、魚や獣物の中に住んでいる・・・ 小川未明 「赤い蝋燭と人魚」
・・・咲いたときいても、見物に出かけることもなく、いつも歩く巷の通りを漫然と散歩して、末にこんな処へ立寄り、偶々、罎にさした桜の花が、傍の壁の鏡に色の褪せた姿をうつすのをながめて、書きかけている作品の構想に耽るようなこともありました。思えば自然主・・・ 小川未明 「春風遍し」
・・・ という牧水流の感情に耽ることも、許されていない。私の書かねばならぬのは、香りの失せた大阪だ。いや、味えない大阪だ。催眠剤に使用される珈琲は結局実用的珈琲だが、今日の大阪もついに実用的大阪になり下ってしまったのだろうか。 しかし・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・石田と二人で情痴の限りを尽した待合での数日を述べている条りは必要以上に微に入り細をうがち、まるで露出狂かと思われるくらいであったが、しかしそれもありし日の石田の想出に耽るのを愉しむ余りの彼女の描写かと思えば、あわれであった。早く死刑になって・・・ 織田作之助 「世相」
・・・そういう形式でしか性欲に耽ることができなくなっているのではなかろうか。それとも彼女という対象がそもそも自分には間違った形式なのだろうか」「しかし俺にはまだ一つの空想が残っている。そして残っているのはただ一つその空想があるばかりだ」 ・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・そして此情想に耽る時は人間の浅間しサから我知らず脱れ出ずるような心持になる。あたかも野辺にさすらいて秋の月のさやかに照るをしみじみと眺め入る心持と或は似通えるか。さりとて矢も楯もたまらずお正の許に飛んで行くような激越の情は起らないのであった・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・その為に深夜までも思い耽る、朝も遅くなる、つい怠り勝に成るような仕末。彼は長い長い腰弁生活に飽き疲れて了った。全くこういうところに縛られていることが相川の気質に適かないのであって、敢て、自ら恣にするのでは無い、と心を知った同僚は弁護してくれ・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・また一方では純理的の興味から原理や事実の探究にのみ耽る人もある。中には両方面を併せて豊富に有っている多能な人もないではない。 ボーアのごときはむしろこの第二のタイプの学者であるように思われる。従って世間からうるさく取りすがられ駆使される・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫