・・・ かくのごとく我儘であるくせにまた甚だしく臆病な彼は、自分で断然年賀端書を廃して悠然炬燵にあたりながら彼の好む愚書濫読に耽るだけの勇気もないので、表面だけは大人しく人並に毎年この年中行事を遂行して来た。早く手廻しをすればよいのに、元日に・・・ 寺田寅彦 「年賀状」
・・・ 募集した絵をゆっくり一枚一枚点検しながら、不折や虚子や碧梧桐を相手に色々批評したり、また同時に自分の描いておいた絵を見せたりして閑談に耽るのがあの頃の子規の一つの楽しみであったろうということも想像される。 ともかくもあの頃の『ホト・・・ 寺田寅彦 「明治三十二年頃」
・・・彼の癇癖は彼の身辺を囲繞して無遠慮に起る音響を無心に聞き流して著作に耽るの余裕を与えなかったと見える。洋琴の声、犬の声、鶏の声、鸚鵡の声、いっさいの声はことごとく彼の鋭敏なる神経を刺激して懊悩やむ能わざらしめたる極ついに彼をして天に最も近く・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・その上私には、道を歩きながら瞑想に耽る癖があった。途中で知人に挨拶されても、少しも知らずにいる私は、時々自分の家のすぐ近所で迷児になり、人に道をきいて笑われたりする。かつて私は、長く住んでいた家の廻りを、塀に添うて何十回もぐるぐると廻り歩い・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・反対に孤独癖の人間は、黙って瞑想に耽ることを楽しみとする。西洋人と東洋人とを比較すると、概してみな我々東洋人は、非社交的な瞑想人種に出来上ってる。孤独癖ということは、一般的には東洋人の気質であるかも知れないのだ。深山の中に唯一人で住んでる仙・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・ ただにこれを一掃するのみならず、順良の極度より詭激の極度に移るその有様は、かの仏蘭西北部の人が葡萄酒に酔い、菓子屋の丁稚が甘に耽るが如く、底止するところを知らざるにいたるべし。人を順良にせんとするの方便は、たまたまこれを詭激に導くの助・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・試みに男子の胸裡にその次第の図面を画き、我が妻女がまさしく我に傚い、我が花柳に耽ると同時に彼らは緑陰に戯れ、昨夜自分は深更家に帰りて面目なかりしが、今夜は妻女何処に行きしや、その場所さえ分明ならずなどの奇談もあるべしと想像したらば、さすがに・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・――膝に開いた本をのせたまま手許に気をとられるので少し唇をあけ加減にとう見こう見刺繍など熱心にしている従妹の横顔を眺めていると、陽子はいろいろ感慨に耽る気持になることがった。夫の純夫の許から離れ、そうして表面自由に暮している陽子が、決して本・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・有のままをいえば、遠く過ぎ去った小学校時代を屡々追想して、その愛らしい思い出に耽るには、今の自分は、一方からいえば余り大人になり過ぎ、一方からいえば、又、余りに若過ぎる時代にある。丁度、女学校の二三年頃、理由もなく幼年時代をいつくしむような・・・ 宮本百合子 「思い出すかずかず」
・・・宗派的に少数でかたまりきって、英雄主義に耽ることではない。ベズィメンスキーは「射撃」の中で、この大切な階級的心理の洞察をおとしているのであった。 それ等の点について大衆とラップの内部から批判がおこったとき、ベズィメンスキーは云った。「自・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
出典:青空文庫