・・・ 有体に言うと今の文人の多くは各々蝸牛の殻を守るに汲々として互いに相褒め合ったり罵り合ったりして聊かの小問題を一大事として鎬を削ってる。毎日の新聞、毎月の雑誌に論難攻撃は絶えた事は無いが、尽く皆文人対文人の問題――主張対主張の問題では無・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・『八犬伝』もまた末尾に近づくにしたがって強弩の末魯縞を穿つあたわざる憾みが些かないではないが、二十八年間の長きにわたって喜寿に近づき、殊に最後の数年間は眼疾を憂い、終に全く失明して口授代筆せしめて完了した苦辛惨憺を思えば構想文字に多少の倦怠・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・というと、親や伯父は文学士をエライものだと思ってるから聊かヘコタレの気味であった。 こんなわけで「文学士春の屋おぼろ」というものは非常な権威があった。かつ坪内君は同時に小説論をしばしば書いた。後の『小説神髄』はこれを秩序的に纏めたものだ・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・ それより三世、即ち彼の祖父に至る間は相当の資産をもち、商を営み農を兼ね些かの不自由もなく安楽に世を渡って来たが、彼の父新助の代となるや、時勢の変遷に遭遇し、種々の業を営んだが、事ごとに志と違い、徐々に産を失うて、一男七子が相続いで生れ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・しかし、やがてあの人にはそんな悪気は些かもないことがわかった。自分で使うよりは友人に使ってもらう方がずっと有意義だという綺麗な気持、いやそれすらも自ら気づいてない、いわば単なる底ぬけのお人よしだからだとわかった。すると、もう誰もみな安心して・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・しかし骨董は果して古銅から来た語だろうか、聊か疑わしい。もし真に古銅からの音転なら、少しは骨董という語を用いる時に古銅という字が用いられることがありそうなものだのに、汨董だの古董だのという字がわざわざ代用されることがあっても、古銅という字は・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・其処へかかると中に灯火が無く、外の雪明りは届かぬので、ただ女の手に引かるるのみの真暗闇に立つ身の、男は聊か不安を覚えぬでは無かった。 然し男は「ままよ」の安心で、大戸の中の潜り戸とおぼしいところを女に従って、ただ只管に足許を気にしながら・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・ 少年の用いていた餌はけだし自分で掘取ったらしい蚯蚓であったから、聊かその不利なことが気の毒に感じられた。で、自分の餌桶を指示して、 この餌を御使いよ、それでは魚の中りが遠いだろうから。 少年は遠慮した様子をちょっと見せたが、そ・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・取るに足らぬ女性の嫉妬から、些かの掠り傷を受けても、彼は怨みの刃を受けたように得意になり、たかだか二万法の借金にも、彼は、(百万法の負債に苛責まれる天才の運命は悲惨なる哉などと傲語してみる。彼は偉大なのらくら者、悒鬱な野心家、華美な薄倖児で・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・その直前にどんなことを考えていたかと思って聊か覚束ない寝覚めの記憶を逆に追跡したが、どうもその前の連鎖が見付からない。しかし、その少し前にこの夏泊った沓掛の温泉宿の池に居る家鴨が大きな芋虫を丸呑みにしたことを想い出していた。それ以外にはどう・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
出典:青空文庫