・・・ これに反して停車場内の待合所は、最も自由で最も居心地よく、聊かの気兼ねもいらない無類上等の Caf である。耳の遠い髪の臭い薄ぼんやりした女ボオイに、義理一遍のビイルや紅茶を命ずる面倒もなく、一円札に対する剰銭を五分もかかって持て来る・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・そこで自然と、物には専門家と素人の差別が生ずるのだと、珍々先生は自己の廃頽趣味に絶対の芸術的価値と威信とを附与して、聊か得意の感をなし、荒みきった生涯の、せめてもの慰藉にしようと試みるのであったが、しかし何となくその身の行末空恐しく、ああ人・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・単に所有という点からいえば聊か富という念も起るが、それは親の遺産を受け継いだ富ではなくって、他人の家へ養子に行って、知らぬものから得た財産である。自分に利用するのは養子の権利かも知れないが、こんなものの御蔭を蒙るのは一人前の男としては気が利・・・ 夏目漱石 「『東洋美術図譜』」
・・・何しろ横浜のメリケン波戸場の事だから、些か恰好の異った人間たちが、沢山、気取ってブラついていた。私はその時、私がどんな階級に属しているか、民平――これは私の仇名なんだが――それは失礼じゃないか、などと云うことはすっかり忘れて歩いていた。・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・独り余輩は所謂藩の岸上に立つ者なれば、望観するところ、或は藩中の士族よりも精密ならんと思い、聊かその望観のままを記したるのみ。一、本書はもっぱら中津旧藩士の情態を記したるものなれども、諸藩共に必ず大同小異に過ぎず。或は上士と下士との軋轢・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・昨日の紙上に掲載したる女大学評論の第五回中新民法の事に論及したる所あるを以て、聊か其次第を記して読者の参考に供すと言う。 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ 我輩はこの一段に至りて、勝氏の私の為めには甚だ気の毒なる次第なれども、聊か所望の筋なきを得ず。その次第は前にいえるごとく、氏の尽力を以て穏に旧政府を解き、由て以て殺人散財の禍を免かれたるその功は奇にして大なりといえども、一方より観察を・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・いてよく考え理解した上で、そこに諷刺のおさえがたい横溢を表現してゆくという製作の態度よりは、寧ろ小熊秀雄の才分の面白さ、という周囲の評価の自覚において諷刺の対象への芸術家としての歴史的な責任という点は些かかるく扱われた。 この時代、小熊・・・ 宮本百合子 「旭川から」
・・・老藤村が、文化勲章の制定に感激しつつ、いまだ文学が一般の人、特に政治家に分っていないこと、そのためにこのよろこびが些かほがらかならざることに遺憾の心をのべているのは味わうべきところであった。文化勲章は従軍徽章でないのである。藤村が、文学者の・・・ 宮本百合子 「「大人の文学」論の現実性」
・・・ と些か堅くなっている写真師の手元を熱心に見上げて居られる。自分の仕事にすっかりうちはまって集注的に単純になっている先生の様子はなかなか興味があった。そして共感をそそる味いに溢れている。○ 午後、建物の内廊下を歩き初め。傷のところをぎゅ・・・ 宮本百合子 「寒の梅」
出典:青空文庫