・・・、淳朴を旨とし清潔を貴び能く礼譲の道を修め、主客応酬の式頗る簡易にしてしかもなお雅致を存し、富貴も驕奢に流れず貧賤も鄙陋に陥らず、おのおの其分に応じて楽しみを尽すを以て極意となすが如きものなれば、この聖戦下に於いても最適の趣味ならんかと思量・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・義、功利主義、唯物主義の打破等精神総動員の趣旨の徹底をはかり学生、生徒、児童等には愛国行進その他団体運動を行わせ、これらの集会、行進等に際しては今回選定された愛国行進曲を合唱させること等を報じている。聖戦祝勝の気運をもってひた押しに一九三七・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・のみならず社会主義的な社会観をきらうすべての人は、なによりもはっきり一つのことを知っていた――社会主義者「赤」は「一億一心」の聖戦を、帝国主義戦争だの、資本主義の矛盾からおこる悲惨だの、人民の犠牲だのと、けちをつける。だから投獄されてもしか・・・ 宮本百合子 「世紀の「分別」」
・・・「直諫の士」が戦場の勇士よりも、ある場合にはより勇気ある武士とされた理由である。 日本の人民は、東條時代を通じて、もっとも非合理野蛮な侵略主義者の善と悪との規準で支配されてきた。「聖戦」に対して、いくらかでも疑問をもち、侵略行為の人類的・・・ 宮本百合子 「地球はまわる」
・・・一億一心、八紘一宇、聖戦、大東亜共栄圏というような狂信的用語が至るところに溢れた。文学はこれらの言葉の下に埋没した。この緊迫した状態のもとで宮本の公判がはじまった。当時宮本は公判廷に出ても席に耐えないでベンチの上に横になる程疲労していた・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・こういう実直な、いわれるままに「聖戦」を信じて夫をおくり息子たちをおくり、その死に耐えた人々の誰が、何に便乗することができたろう。はじめの頃は、自分たちの住んでいる街や村のまわりにも、何軒かは便乗景気のところもあって、何処やら努力のつぐのい・・・ 宮本百合子 「便乗の図絵」
・・・ だから、一九四五年八月十五日、日本のファシズム権力が無条件降伏しポツダム宣言を受諾したのち、「聖戦」が帝国主義の侵略戦争であったといわれても、すぐそれを納得しかねる感情が大部分の人民の心にひそんでいる。その心持は今日も決して根絶してい・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
・・・且つ「聖戦」と言い聞かされた。ところが敗戦してポツダム宣言を受諾した時、日本は連合諸国から戦争犯罪国として、対等の国際的自立性を奪われた。私達祖国を愛する者は、この戦争の結果を悲しい心で受取った。そして、或る人々はきっと思ったに違いない。昔・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫