・・・であるから坪内君は私の先生ではあるが、多勢の聴講者の中に交ってたッた二、三回しか講義を聞いただけの頗る薄い関係であるし、平生先生呼ばわりをされる事が嫌いな人だから一度も先生といった事はないけれども、たしかに明治二十二年頃の初対面以後今日まで・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・しかしアインシュタインは就学の自由を極端まで主張する方で、聴講資格のせせこましい制定を撤廃したいという意見らしい。演習なり実習なりである講義を理解する下地の出来たものは自由に入れてやって、普通学の素養などは強要しない。ことに彼の経験では有為・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・その当時理科大学物理学科の聴講生となって長岡博士その他の物理学に関する講義に出席した。翌三十五年助教授となり、四十二年応用力学研究のため満二年間独国及び英国へ留学を命ぜられ、これと同時に工学博士の学位を授けられた。四十四年帰朝後工科大学教授・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・ ベルリン着早々、中村気象台長からの紹介状をもってヘルマン教授を尋ね聴講科目などの指導を仰いだ。結局第一学期には、プランクの「物理学の全系統」ヘルマンの「気象器械の理論と用法」並びに「気象輪講」ルーベンスの「物理輪講」アドルフ・シュミッ・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
出典:青空文庫