・・・何でも事の起りは、あの界隈の米屋の亭主が、風呂屋で、隣同志の紺屋の職人と喧嘩をしたのですな。どうせ起りは、湯がはねかったとか何とか云う、つまらない事からなのでしょう。そうして、その揚句に米屋の亭主の方が、紺屋の職人に桶で散々撲られたのだそう・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・ それはあるいは職人の間違いだったかも知れなかった。しかしまたあるいはその職人が相手の女の商売を考え、故らに外国人の名前などは入れずに置いたかも知れなかった。僕はそんなことを気にしない彼に同情よりもむしろ寂しさを感じた。「この頃はど・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・ とこの高松の梢に掛った藤の花を指して、連の職人が、いまのその話をした時は…… ちょうど藤つつじの盛な頃を、父と一所に、大勢で、金石の海へ……船で鰯網を曵かせに行く途中であった…… 楽しかった……もうそこの茶店で、大人たちは一度・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 高台の職人の屈竟なのが、二人ずれ、翌日、水の引際を、炎天の下に、大川添を見物して、流の末一里有余、海へ出て、暑さに泳いだ豪傑がある。 荒海の磯端で、肩を合わせて一息した時、息苦しいほど蒸暑いのに、颯と風の通る音がして、思わず脊・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・をまげた、ハハハアと笑ったかと思うと直ぐ跡から、旦那鎌なら豪せいなのが出来てます、いう内に女房が出て来て上がり鼻へ花蓙を敷いた、兼公はおれに許り其蓙へ腰をかけさせ、自分は一段低い縁に腰をかけた、兼公は職人だけれど感心に人に無作法なことはしな・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・昔は大抵な家では自宅へ職人を呼んで餅を搗かしたもんで、就中、下町の町家では暮の餅搗を吉例としたから淡島屋の団扇はなければならぬものとなって、毎年の年の市には景物目的のお客が繁昌し、魚河岸あたりの若い衆は五本も六本も団扇を貰って行ったそうであ・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・であるから貸本屋の常得意の隠居さんや髪結床の職人や世間普通の小説読者よりは広く読んでいたし、幾分かは眼も肥えていた。であるから坪内君の『書生気質』を読んでも一向驚かず、平たくいうと、文学士なんてものは小説を書かせたら駄目なものだと思っていた・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・ 数日後のこと、若者は、雇われ口を探しながら歩いていますと、先日の汚らしいふうをした子供が、職人体の男にいじめられているのを見ました。「おまえは、どこから、この町へなどやってきたのだ。このごろは町にろくなことがない。火事があったり、・・・ 小川未明 「あほう鳥の鳴く日」
・・・おきみ婆さんは昔大阪の二等俳優の細君でしたが、芸者上りの妾のために二人も子のある堀江の家を追いだされて、今日まで二十五年の歳月、その二人の子の継子の身の上を思いつめながら野堂町の歯ブラシ職人の二階を借りて、一人さびしく暮してきたという女でし・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・私の親戚のあわて者は、私の作品がどの新聞、雑誌を見ても、げす、悪達者、下品、職人根性、町人魂、俗悪、エロ、発疹チブス、害毒、人間冒涜、軽佻浮薄などという忌まわしい言葉で罵倒されているのを見て、こんなに悪評を蒙っているのでは、とても原稿かせぎ・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
出典:青空文庫