・・・ かような事を、くどく書きつづけるのは、繁忙な職務を御鞅掌になる閣下にとって、余りに御迷惑を顧みない仕方かも知れません。しかし、私の下に申上げようとする事実の性質上、閣下が私の正気だと云う事を御信用になるのは、どうしても必要でございます・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・この職務は、人間の生活に暗号を与えるのです。一種絶島の燈台守です。 そこにおいて、終生……つまらなく言えば囲炉裡端の火打石です。神聖に云えば霊山における電光です。瞬間に人間の運命を照らす、仙人の黒き符のごとき電信の文字を司ろうと思うので・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ 他の遊芸は知らずと謂う、三味線はその好きの道にて、時ありては爪弾の、忍ぶ恋路の音を立つれど、夫は学校の教授たる、職務上の遠慮ありとて、公に弾くことを禁じたれば、留守の間を見計らい、細棹の塵を払いて、慎ましげに音〆をなすのみ。 お貞・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・情のために道を迂回し、あるいは疾走し、緩歩し、立停するは、職務に尽くすべき責任に対して、渠が屑しとせざりしところなり。 六 老人はなお女の耳を捉えて放たず、負われ懸くるがごとくにして歩行きながら、「お香、こう・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・丁度医者が昔から仁術であると云われていながら、その大抵は金とり主義になっているように、小学校教師にも自己の職務を余りに職業視している人があると思う。私はある時郷国の小学校に就て其の内幕をみるの機会を得たのであるが、其の風儀の壊廃は実に驚くに・・・ 小川未明 「人間性の深奥に立って」
・・・ 然し彼は資性篤実で又能く物に堪え得る人物であったから、この苦悩の為めに校長の職務を怠るようなことは為ない。平常のように平気の顔で五六人の教師の上に立ち数百の児童を導びいていたが、暗愁の影は何処となく彼に伴うている。 ・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・の山崎のお母さんでさえ、引張られて行く自分の息子よりも、こんな日の朝まだ夜も明けないうちに、職務とは云え、やって来て、家宅捜索をするのに、すぐ指先がかじかんで、一寸やっては顎の下に入れて暖めているのを見るに見兼ねて、「え糞ッ!」という気にな・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・彼等を繋いで置く職務等と云うものがないので、彼等は、皆のものになります。丁度、どの町にも、人々が皆行って休息出来る広場がなくてはならないように、一つの村には、二人か三人、誰にでも相手をしていられる暇人が必要です。そう云う人さえいれば、私共が・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・そうして先生の無神経が、のろわしく、いいえ先生だって、平気で教えているのでは無い。職務ゆえ、懸命にこらえて、当りまえの風を装って教えているのだ、それにちがいないと思えば、なおのこと、先生のその厚顔無恥が、あさましく、私は身悶えいたしました。・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・彼自身の言葉によるとこの職務にも相当な興味をもって働いていたようである。 一九〇五年になって彼は永い間の研究の結果を発表し始めた。頭の中にいっぱいにたまっていたものが大河の堤を決したような勢いで溢れ出した。『物理年鑑』に出した論文だけで・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
出典:青空文庫