・・・何故二人の肉慾の結果を天からの賜物のように思わねばならぬのか。家庭の建立に費す労力と精力とを自分は他に用うべきではなかったのか。 私は自分の心の乱れからお前たちの母上を屡々泣かせたり淋しがらせたりした。またお前たちを没義道に取りあつかっ・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・淫蕩な事実を描く、肉欲を書き、人間の醜い部分と、そして、自分達、即ちブルジョア階級がいかにして快楽を求めつゝあるかを告白する。しかし、余程の低劣な作家にあらざる限り、これ等の事実を提供して、読者に媚びようとする者は恐らくあるまい。社会の一般・・・ 小川未明 「何を作品に求むべきか」
・・・「何でもないんです、比喩は廃して露骨に申しますが、僕はこれぞという理想を奉ずることも出来ず、それならって俗に和して肉慾を充して以て我生足れりとすることも出来ないのです、出来ないのです、為ないのではないので、実をいうと何方でも可いから決め・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ 遊戯恋愛の習慣 肉慾にまで至らない軽い遊戯恋愛の習慣はこれとは別の害毒を持つものである。すなわちそれは「軽薄」という有為な青年に最も忌むべき傾向である。うち明けていえば、私はこの種の「薄っぺら」よりは、まだしも・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・風呂にはいっては長椅子に寝そべって、うまい物を食っては空談にふけって、そしてうとうとと昼寝をむさぼっていた肉欲的な昔の人の生活を思い浮かべないわけにはゆかなかった。 劇場の中のまるい広場には、緑の草の毛氈の中に真紅の虞美人草が咲き乱れて・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・を見て肉欲を刺戟されるとか、そういう場合はあるに相違ない。題材が恋愛、性欲等であり、その題材自身が不倫な恋や肉欲の興味をそそり得る場合には、確かに風俗壊乱という影響を公衆の或る者に及ぼし得る。だからこの種の影響をうける人間が多数に存在する以・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
・・・しかし我々は金をためること、肉欲にふけることを無上の悦楽とする「高利貸的人間」が、広汎な享楽の力を持つとは思わない。むしろ彼らは貪欲と肉欲とのゆえに、自然と人生との限りなき価値に対して盲目なのである。彼らが一つの古雅な壺を見る。その形と色と・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
・・・さはあれわが保つ宝石の尊さを知らぬ人は気の毒を通り越して悲惨である、ただ己が命を保たんため、己が肉欲を充たさんために内的生命を失い内的欲求を枯らし果つるは不幸である。この哀れむべき人の中にさらに歩を進めたる労働者を見よ。尊き内的生命を放棄し・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫