・・・おまけに活動写真なんだ。肌身はなさずとも、行かなかった訳さ。「思い思われるって云いますがね。思われない人だって、思われるようにはしむけられるんでしょう。志村さんにしたって、私によく青いお酒を持って来ちゃくだすった。それが私のは、思われるよう・・・ 芥川竜之介 「片恋」
・・・ 使 第二にあなたがたは肌身さえ任せば、どんなことでも出来ないことはない。あなたはその手を使ったのです。 玉造の小町 卑しいことを云うのはおよしなさい。あなたこそ恋を知らないのです。 使 (やはり無頓着第三に、――これが一番恐ろ・・・ 芥川竜之介 「二人小町」
・・・一度でも肌身を汚したとなれば、夫との仲も折り合うまい。そんな夫に連れ添っているより、自分の妻になる気はないか? 自分はいとしいと思えばこそ、大それた真似も働いたのだ、――盗人はとうとう大胆にも、そう云う話さえ持ち出した。 盗人にこう云わ・・・ 芥川竜之介 「藪の中」
・・・ 正の肌身はそこで藻抜けて、ここに空蝉の立つようなお澄は、呼吸も黒くなる、相撲取ほど肥った紳士の、臘虎襟の大外套の厚い煙に包まれた。「いつもの上段の室でございますことよ。」 と、さすが客商売の、透かさず機嫌を取って、扉隣へ導くと・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・思案に尽きて終に自分の書類、学校の帳簿などばかり入て置く箪笥の抽斗に入れてその上に書類を重ねそして鍵は昼夜自分の肌身より離さないことに決定て漸っと安心した。 床に就たと思うと二時が打ち、がっかりして直ぐ寝入って終った。 五月十六日・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・無口で、激情的で、うつりゆく時世を犇々と肌身にこたえさせつつギリギリのところまで鉄瓶を握りしめている心持が肯ける。久作という人物は、しかしあの舞台では本間教子の友代の、厚みと暖かさと活気にみちた自然な好技に、何とよく扶けられ、抱かれているこ・・・ 宮本百合子 「「建設の明暗」の印象」
・・・ これらのしめくくりは、しかし、去年という三百六十五日の間にわたしたちが生活と文学との肌身へじかにうけて生きて来た激しい暑さ、さむさ、ほこりっぽい複雑さのいろいろを、その深さ、その多面なひろがりそのものにおいて整理したものであると言えた・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・そして自分でも二度と見ようとはしなかったので、あっちこっち、散々索しまわったお石が、とうとうそれを見つけ出して、何ぞのときの用心にと、肌身離さず持っていようなどとは、夢にも知らなかった。 裏から紙を貼ってある一枚の十円札、まだ新しいもう・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫