・・・トック君は元来胃病でしたから、それだけでも憂鬱になりやすかったのです。」「何か書いていたということですが。」 哲学者のマッグは弁解するようにこう独り語をもらしながら、机の上の紙をとり上げました。僕らは皆頸をのばし、幅の広いマッグの肩・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・その頃は世間に神経衰弱という病名が甫めて知られ出した時分であったのだが、真にいわゆる神経衰弱であったか、あるいは真に漫性胃病であったか、とにかく医博士たちの診断も朦朧で、人によって異る不明の病に襲われて段衰弱した。切詰めた予算だけしか有して・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・ 帝展には少ないが二科会などには「胃病患者の夢」を模様化したようなヒアガル系統の絵がある。あれはむしろ日本画にした方が面白そうに思われるのに、まだそういう日本画を見ない。これも意外である。 デパートのマークを付けたために問題になった・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・それが今、中年を過ぎた生涯の午後に、いつなおるかわからない頑固な胃病に苦しんでいる彼の心持ちは、だいぶちがったものであった……のみならず今度の病気は彼の外出を禁じてしまったので前の病気の時のように、自由に戸外の空気に触れて心を紛らす事ができ・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・五尺たらずで、胃病もちで、しなびた小さい顔にいつも鼻じわよせながら、ニヤリニヤリと皮肉な笑いをうかべている男だった。「ホホン、そりゃええ――」 この「ホホン」というのが小野の得意であった。小男だから、いつも相手をすくいあげるようにし・・・ 徳永直 「白い道」
・・・その上には鉛色の空が一面に胃病やみのように不精無精に垂れかかっているのみである。余は首を縮めて窓より中へ引き込めた。案内者はまだ何年何月何日の続きを朗らかに読誦している。 カーライルまた云う倫敦の方を見れば眼に入るものはウェストミンスタ・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・いつものように、四ツ辻にポストが立って、煙草屋には胃病の娘が坐っている。そして店々の飾窓には、いつもの流行おくれの商品が、埃っぽく欠伸をして並んでいるし、珈琲店の軒には、田舎らしく造花のアーチが飾られている。何もかも、すべて私が知っている通・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
出典:青空文庫