・・・ 私は詩碑の背面に刻みこまれている加藤武雄氏の碑文を見直した。それは昭和十一年建てられた当時、墨の色もはっきりと読取られたものであるが、軟かい石の性質のためか僅か五年の間に墨は風雨に洗い落され、碑石は風化して左肩からはすかいに亀裂がいり・・・ 黒島伝治 「短命長命」
・・・今ちょいと外面へ汝が立って出て行った背影をふと見りゃあ、暴れた生活をしているたア誰が眼にも見えてた繻子の帯、燧寸の箱のようなこんな家に居るにゃあ似合わねえが過日まで贅をやってた名残を見せて、今の今まで締めてたのが無くなっている背つきの淋しさ・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・彼のような男は、七十歳になっても、八十歳になっても、やはり派手な格子縞のハンチングなど、かぶりたがるのではないでしょうか。外面の瀟洒と典雅だけを現世の唯一の「いのち」として、ひそかに信仰しつづけるのではないでしょうか。昨年、彼が借衣までして・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・けれども、悲しいかな、この男もまた著述をなして居るとすれば、その外面の上品さのみを見て、油断することは出来ません。何となれば、芸術家には、殆ど例外なく、二つの哀れな悪徳が具わって在るものだからであります。その一つは、好色の念であります。この・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・何を人から言われても、外面ただ、にこにこ笑っていることにしたのである。 私は、やさしくなってしまった。 あれから、もう五年経った。そうして今でもなお私は、半きちがいと思われているようだ。私の名前と、そうしてその名前にからまる伝説だけ・・・ 太宰治 「鴎」
・・・よく見るとしっぽに近い背面の羽色に濃い黒みがかった縞の見えるのが雄らしく思われるだけである。あひるの場合でもやはりいわゆる年ごろにならないと、雌雄の差による内分泌の分化が起こらないために、その性的差別に相当する外貌上の区別が判然と分化しない・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・一面においては人為的、不自然、不純真、似而非、贋造といったようなあまりかんばしくない要素を含んでいるが、また一面においてはそうしたかんばしくないものを、もう一ぺんひっくりかえして裏から見たときに、その背面から浮かび出して来る高次元に真なるも・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(※[#ローマ数字7、1-13-27])」
・・・多稜形をした外面が黒く緻密な岩はだを示して、それに深い亀裂の入った麺麭殻型の火山弾もある。赤熱した岩片が落下して表面は急激に冷えるが内部は急には冷えない、それが徐々に冷える間は、岩質中に含まれたガス体が外部の圧力の減った結果として次第に泡沫・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・そこで外面から射す夕暮に近い明りを受けて始めて先生の顔を熟視した。先生の顔は昔とさまで違っていなかった。先生は自分で六十三だと云われた。余が先生の美学の講義を聴きに出たのは、余が大学院に這入った年で、たしか先生が日本へ来て始めての講義だと思・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
・・・人間の職業が専門的になってまた各々自分の専門に頭を突込んで少しでも外面を見渡す余裕がなくなると当面の事以外は何も分らなくなる。また分らせようという興味も出て来にくい。それで差支ないと云えばそれまでであるが、現に家業にはいくら精通してもまたい・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
出典:青空文庫