・・・悲しい事にはこの四郎はその後まもなく脊髄病にかかって、不具同様の命を二三年保っていたそうですが、死にました。そして私は、その墓がどこにあるかも今では知りません。あきらめられそうでいてて、さて思い起こすごとにあきらめ得ない哀別のこころに沈むの・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・かくの如き馬琴が書きましたるところの著述は、些細なものまでを勘定すれば百部二百部ではきかぬのでありますが、その中で髄脳であり延髄であり脊髄であるところの著述は、皆当時の実社会に対して直接な関係は有して居りませぬので、皆異なった時代――足利時・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・道太は子供が脊髄病のために、たぶん片方の脚が利かないであろうことを聞き知って、心を痛めていたので、今ふみ江の抱いている子供のぽちゃぽちゃ肥った顔を見ると、いっそう暗い気持になって、しばらく口も利けなかった。「先日は失礼しました。ふみちゃ・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・いよいよ不思議になって来たと思うと、蒲団の上で脊髄が急にぐにゃりとする。ただ眼だけを見張って、たしかに動いておるか、おらぬかを確める。――確かに動いている。平常から動いているのだが気がつかずに今日まで過したのか、または今夜に限って動くのかし・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・モラル・バックボーンという何でもない英語を翻訳すると、徳義的脊髄という新奇でかつ趣のある字面が出来る。余の行為がこの有用な新熟語に価するかどうかは、先生の見識に任せて置くつもりである。(余自身はそれほど新らしい脊髄がなくても、不便宜なしに誰・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・床を出て自由に歩き廻る訳には行かないが、さりとて臥きりに寝台に縛られていると何か落付かない焦燥が、衰弱しない脊髄の辺からじりじりと滲み出して来るような状態にあった。 手伝の婆に此と云う落度があったのではなかった。只、ふだんから彼女の声は・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・ 成丈、脊髄を曲げない様に、左右の手を同じ様に発育させる様に注意して、ゆったりと胸に抱えあげて、形の好い鼻からさし引きする安らかな呼吸を聞いて居ると、私の心は、類もない希望と、安心にときめいて来る。 長年の勉強と努力で、漸う出来た私・・・ 宮本百合子 「暁光」
・・・一八八三年、六十五歳の時脊髄癌を病ってパリで死ぬまで、ツルゲーネフは有名な農奴解放時代の前後、略三十年に亙るロシアの多難多彩な社会生活と歴史の推進力によって生み出される先進的な男女のタイプとを、世界的に知られている小説「猟人日記」、「ルージ・・・ 宮本百合子 「ツルゲーネフの生きかた」
・・・ 山本有三氏は、斯様にして獲得された今日の彼としての成功に至る迄の人生の経験から、次第に一つのはっきりとした彼の芸術の脊髄的テーマとでも云うべきものを掴んで来ているように見える。それは、予備条件として在来の社会機構から生じた各個人間の極・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
出典:青空文庫