・・・そうして闊達に鳥打帽を脱ぐと、声だけは低く挨拶をした。「陳さんですか? 私は吉井です。」 陳はほとんど無表情に、じろりと相手の顔を眺めた。「今日は御苦労でした。」「先ほど電話をかけましたが、――」「その後何もなかったです・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・そしたら俺しもお前に未練なく兜を脱ぐがな」 父のこの言葉ははっしと彼の心の真唯中を割って過ぎた。実際彼は刃のようなひやっとしたものを肉体のどこかに感じたように思った。そして凝り上がるほど肩をそびやかして興奮していた自分を後ろめたく見いだ・・・ 有島武郎 「親子」
・・・膝へ手繰ると、袖を両方へ引落して、雪を分けるように、するりと脱ぐ。……膚は蔽うたよりふっくりと肉を置いて、脊筋をすんなりと、撫肩して、白い脇を乳が覗いた。それでも、脱ぎかけた浴衣をなお膝に半ば挟んだのを、おっ、と這うと、あれ、と言う間に、亭・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ と下駄を脱ぐ。「大層、おめかしだね。」「ふむ。」 と笑い捨てて少年は乱暴に二階に上るを、お貞は秋波もて追懸けつつ、「芳ちゃん!」「何?」 と顧みたり。「まあ、ここへ来て、ちっとお話しなね。お祖母様はいま昼寝・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・ 話の中には――この男が外套を脱ぐ必要もなさそうだから、いけぞんざいだけれども、懇意ずく、御免をこうむって、外套氏としておく。ただ旅客でも構わない。 が、私のこの旅客は、実は久しぶりの帰省者であった。以前にも両三度聞いた――渠の帰省・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ ばちゃん、……ちゃぶりと微かに湯が動く。とまた得ならず艶な、しかし冷たい、そして、におやかな、霧に白粉を包んだような、人膚の気がすッと肩に絡わって、頸を撫でた。 脱ぐはずの衣紋をかつしめて、「お米さんか。」「いいえ。」・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・が脱ぐと、ステッキの片手の荷になる。つれの家内が持って遣ろうというのだけれど、二十か、三十そこそこで双方容子が好いのだと野山の景色にもなろうもの……紫末濃でも小桜縅でも何でもない。茶縞の布子と来て、菫、げんげにも恥かしい。……第一そこらにひ・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
・・・自分は日々朝草鞋をはいて立ち、夜まで脱ぐ遑がない。避難五日目にようやく牛の為に雨掩いができた。 眼前の迫害が無くなって、前途を考うることが多くなった。二十頭が分泌した乳量は半減した上に更に減ぜんとしている。一度減じた量は決して元に恢復せ・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・着物を一枚ずつ脱ぐ。風を懐へ入れ足を展して休む。青ぎった空に翠の松林、百舌もどこかで鳴いている。声の響くほど山は静かなのだ。天と地との間で広い畑の真ン中に二人が話をしているのである。「ほんとに民子さん、きょうというきょうは極楽の様な日で・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・議論している間、欠伸ばかししているか、煙草ばかしふかしておれば、相手は兜を脱ぐにきまっている。 墓銘など、だから私はまかり間違っても作らないつもりである。よしんば作っても、スタンダールのように、「生きた、書いた、恋した」 という・・・ 織田作之助 「中毒」
出典:青空文庫