・・・金将軍はたちまち桂月香を殺し、腹の中の子供を引ずり出した。残月の光りに照らされた子供はまだ模糊とした血塊だった。が、その血塊は身震いをすると、突然人間のように大声を挙げた。「おのれ、もう三月待てば、父の讐をとってやるものを!」 声は・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・本間さんは向うの気色を窺いながら、腹の中でざまを見ろと呟きたくなった。「政治上の差障りさえなければ、僕も喜んで話しますが――万一秘密の洩れた事が、山県公にでも知れて見給え。それこそ僕一人の迷惑ではありませんからね。」 老紳士は考え考・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・ 仁右衛門はいわれる事がよく飲み込めはしなかったが、腹の中では糞を喰らえと思いながら、今まで働いていた畑を気にして入口から眺めていた。「お前は馬を持ってるくせに何んだって馬耕をしねえだ。幾日もなく雪になるだに」 帳場は抽象論から・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・きっと碁石がお腹の中にはいってしまったのだろう。お母さんも少し安心なさったようだった。僕は泣きながらも、お母さんを見たら、その眼に涙が一杯たまっていた。 その時になってお母さんは急に思い出したように、婆やにお医者さんに駈けつけるようにと・・・ 有島武郎 「碁石を呑んだ八っちゃん」
・・・と、機械があって人形の腹の中で聞えるような、顔には似ない高慢さ。 女房は打笑みつつ、向直って顔を見た。「ほほほ、いうことだけ聞いていると、三ちゃんは、大層強そうだけれど、その実意気地なしッたらないんだもの、何よ、あれは?」「あれ・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・雨で家にいるとせば、繩でもなうくらいだから、省作は腹の中ではよいあんばいだわいと思いながら元気よく起きた。 省作は今日休ませてもらいたいのだけれど、この取り入れ最中に休んでどうすると来るが恐ろしいのと、省作がよく働いてくれれば、わたしは・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・是は又余りに失敬なと腹の中に熱いうねりが立つものから、予は平気を装うのに余程骨が折れる。「君夕飯はどうかな。用意して置いたんだが、君があまりに遅いから……」「ウン僕はやってきた。汽車弁当で夕飯は済してきた」「そうか、それじゃ君一・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・僕は腹の中で叫んだ。「それが、お前、焼き餅だァ、ね」と、お袋は、実際のところを承知しているのか、いないのか分らないが、そらとぼけたような笑い顔。「つとめをしている間は、お座敷へ出るにゃア、こッちからお客の好き嫌いはしていられないが、そこ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・最っと油濃く執拗く腸の底までアルコールに爛らして腹の中から火が燃え立つまでになり得ない。モウパスサンは狂人になった。ニーチェも狂人になった。日本の文人は好い加減な処で忽ち人生の見巧者となり通人となって了って、底力の無い声で咏嘆したり冷罵した・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・私のお願いをきいてください。こうして、私はいま幸福な身の上でありますけれど、春がき、夏にもなると、ふたたびだれも私を振り向いてくれません。私の腹の中はいつも空っぽになります。そして、下の暖炉の中には紙くずが詰まります。どうか私のお願いをきい・・・ 小川未明 「煙突と柳」
出典:青空文庫