・・・ が、ただここに、あらゆる罪科、一切の制裁の中に、私が最も苦痛を感ずるのは、この革鞄と、袖と、令嬢とともに、私が連れられて、膝行して当日の婿君の前に参る事です。 絞罪より、斬首より、その極刑をお撰びなさるが宜しい。 途中、田畝道・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・生命がけで、描いて文部省の展覧会で、平つくばって、可いか、洋服の膝を膨らまして膝行ってな、いい図じゃないぜ、審査所のお玄関で頓首再拝と仕った奴を、紙鉄砲で、ポンと撥ねられて、ぎゃふんとまいった。それでさえ怒り得ないで、悄々と杖に縋って背負っ・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・それから主人の迎附けがあって、その案内に従い茶席におそるおそる躙り入るのであるが、入席したらまず第一に、釜の前に至り炉ならびに釜をつくづくと拝見して歎息をもらし、それから床の間の前に膝行して、床の掛軸を見上げ見下し、さらに大きく溜息をついて・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・ 葦叢をのぞき込むようにして膝行出た禰宜様宮田の目には、フト遠い、ズーッと遙かな水の上に、何だか奇妙なものがあがいているのが写った。 鳥でもないし、木片でもない。「今時分人でもあんめえし……」 浮藻に波の影が差しているのだろ・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫