出典:gooニュース
気がつけばある分野で異様な自己責任論者になっていて、それを押し付ける快楽とそのメカニズムが初めてわかった件
そんなこともあり、私は自己責任論に抵抗する立場をとってきた。また、この界隈の問題を「自己責任」で済ませることは、政治の無策を個人の努力や資質に矮小化することでもある。よって「自己責任」が強調されるたびにそれに反論してきたのだが、最近、ひょんなことからある分野では自分がものすごい自己責任論者になっていることに気づいたので、そのことについて、書きたい。
自己責任」 富士宮市長が怒りの提言 閉山期の安易な登山に苦言「甘く見ている。隊員も命懸け」 県知事は国に検討を進めてもらう考えを明らかに
富士宮市長は自己責任を強調こうした中、富士宮市の須藤秀忠 市長は5月9日の定例会見で、閉山期の登山者について「言うことを聞かず勝手に登っている」と怒りをあらわにし、「遭難すると人命を大事にするという見地から救助にいかなければならない。その費用は莫大なもので、個人負担にするべきだし、自己責任」と発言。
「安易な登山」は本当に自己責任なのか? 「救助費用は全額自己負担」は正論? “自己責任論”の裏に潜む国家の資源選別問題とは
公共支出を揺るがす登山遭難 富士山が冬季閉山中でも、登山を強行する人は少なくない。道なき雪原で迷い、短期間に2度も遭難することがある。静岡県富士宮市の須藤秀忠市長がいう「救助費用の自己負担」は、感情的な批判ではなく、公共インフラの支出構造を見直すための提案だろう。 静岡県は2025年5月9日に、富士山の登山規制に関する条例を施行した。
もっと調べる