・・・あとで、チップもない客だと、塩をまく真似されたとは知らず、己惚れも手伝って、坂田はたまりかねて大晦日の晩、集金を済ませた足でいそいそと出掛けた。 それから病みつきで、なんということか、明けて元旦から松の内の間一日も缺かさず、悲しいくらい・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・いやになるくらい己惚れ屋だ。私は時に傲語する、おれは人が十行で書けるところを一行で書ける術を知っている――と。しかし、こんな自信は何とけちくさい自信だろう。私は、人が十行で書けるところを、千行に書く術を知っている――と言える時が来るのを待っ・・・ 織田作之助 「私の文学」
・・・ このごろだんだん、自分の苦悩について自惚れを持って来た。自嘲し切れないものを感じて来た。生れて、はじめてのことである。自分の才能について、明確な客観的把握を得た。自分の知識を粗末にしすぎていたということにも気づいた。こんな男を、いつま・・・ 太宰治 「一日の労苦」
・・・たのでございますが、胸に思いがいっぱい籠っているためか、おかみさんから何かおあがりと勧められても、いいえ沢山と申しまして、そうしてただもう、くるくると羽衣一まいを纏って舞っているように身軽く立ち働き、自惚れかも知れませぬけれども、その日のお・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・人は、私を、なんと言っているか、嘘つきの、なまけものの、自惚れやの、ぜいたくやの、女たらしの、そのほか、まだまだ、おそろしくたくさんの悪い名前をもらっている。けれども、私は、だまっていた。一ことの弁解もしなかった。私には、私としての信念があ・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・ばかな自惚れ。その他、女性のあらゆる悪徳を心得ているつもりでいたのであります。女で無ければわからぬ気持、そんなものは在り得ない。ばかばかしい。女は、決して神秘でない。ちゃんとわかっている。あれだ。猫だ。と此の芸術家は、心の奥底に、そのゆるが・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・あの人は、阿呆なくらいに自惚れ屋だ。私などから世話を受けている、ということを、何かご自身の、ひどい引目ででもあるかのように思い込んでいなさるのです。あの人は、なんでもご自身で出来るかのように、ひとから見られたくてたまらないのだ。ばかな話だ。・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・「何しるでえ!」と大声で叫んで立ち上り、けもののような醜いまずい表情をして私を睨み、「あてにならねえ。非常時だに。」と言いました。私は肝のつぶれるほどに驚倒し、それから、不愉快になりました。「自惚れちゃいけない。誰が君なんかに本気で恋をする・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・私、自惚れてもいいこと? あなたは、きっと、私のところに帰ってまいります。 お達者にお暮しなさいまし。KR。 D 雨降る日、美濃は書斎で書きものをしていた。仔細らしく顔をしかめて、書きものをしていた。 ・・・ 太宰治 「古典風」
・・・けれども私は、よほど頭がわるく、それにまた身のほど知らぬ自惚れもあり、人の制止も聞かばこそ、なに大丈夫、大丈夫だと匹夫の勇、泳げもせぬのに深潭に飛び込み、たちまち、あっぷあっぷ、眼もあてられぬ有様であった。そのような愚かな作家が、未来の鴎外・・・ 太宰治 「困惑の弁」
出典:青空文庫