・・・ 女は自身の胸を突いた。なぜだか、いそいそと嬉しそうであった。「ええ」「とても痩せてはりますもの。それに、肩のとこなんか、やるせないくらい、ほっそりしてなさるもの。さっきお湯で見たとき、すぐ胸がお悪いねんやなあと思いましたわ」・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・で暮してきて、父とも親しく半年といっしょに暮した憶えもなく過してきたようなわけで、ようようこれからいっしょに暮せる時が来た、せめて二三年は生きてもらって好きな酒だけでも飲ませたいと思った甲斐もなく、父自身にしても私たちの子供らの上に深い未練・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・そして僕の方でも窓を開けておいて、誰かの眼にいつも僕自身を曝らしているのがまたとても楽しいんです。こんなに酒を飲むにしても、どこか川っぷちのレストランみたいなところで、橋の上からだとか向こう岸からだとか見ている人があって飲んでいるのならどん・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・木村が好んで出さないのでもない、ただ彼自身の成り行きが、そうなるように私には思われます。樋口も同じ事で、木村もついに「あの時分」の人となってしまいました。 先夜鷹見の宅で、樋口の事を話した時、鷹見が突然、「樋口は何を勉強していたのか・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・とか、「汝の現在の態度について、汝自身に忠実であり得るように態度をとれ」とかいい得るのみである。すなわち人間のあらゆる積極的な意欲はことごとく、道徳の実質であって道徳律はその意欲そのものを褒貶するのでなく、その意欲間の普遍妥当なる関係をきめ・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・ 田舎へきて約半年ばかりは、東京のことが気にかかり東京の様子や変遷を知り進歩に遅れまいと、これつとめるのであるが、そのうちに田舎の自分に直接関係のある生活に心をひかれ、自分自身の生活の中に這入りこんで、麦の収穫の多寡や、村税の負担の軽重・・・ 黒島伝治 「田舎から東京を見る」
・・・網は御客自身打つ人もあるけれども先ずは網打が打って魚を獲るのです。といって魚を獲って活計を立てる漁師とは異う。客に魚を与えることを多くするより、客に網漁に出たという興味を与えるのが主です。ですから網打だの釣船頭だのというものは、洒落が分らな・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・ されど、今のわたくし自身にとっては、死刑はなんでもないのである。 わたくしが、いかにしてかかる重罪をおかしたのであるか。その公判すら傍聴を禁止された今日にあっては、もとより、十分にこれをいうの自由はもたぬ。百年ののち、たれかあるい・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・を持っているのと同様に、もはや今では日本のプロレタリアートも自分自身の「旗日」を持っている! ところが、どうしても残念なことが一つあった。それは隣りの同志が実によく「われ/\の旗日」を知っていることである。……いや、そうでなかった。それ・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・なんとなく次郎の求めているような素朴さは、私自身の求めているものでもある。最後からでも歩いて行こうとしているような、ゆっくりとおそい次郎の歩みは、私自身の踏もうとしている道でもある。三郎はまた三郎で、画面の上に物の奥行きなぞを無視し、明快に・・・ 島崎藤村 「嵐」
出典:青空文庫