・・・その間の機微を、あやまたず人に言い伝えるのは、至難である。それをまた、無理に語らせようとするのも酷ではないか。 私は、私の作品と共に生きている。私は、いつでも、言いたい事は、作品の中で言っている。他に言いたい事は無い。だから、その作・・・ 太宰治 「自作を語る」
・・・会話が、少しもわからず、さりとて、あの画面の隅にちょいちょい出没する文章を一々読みとる事も至難である。私には、文章をゆっくり調べて読む癖があるので、とても読み切れない。実に、疲れるのである。それに私は、近眼のくせに眼鏡をかけていないので、よ・・・ 太宰治 「弱者の糧」
・・・その期間に、愛情の問題だの、信仰だの、芸術だのと言って、自分の旗を守りとおすのは、実に至難の事業であった。この後だって楽じゃない。こんな具合じゃ仕様が無い。また十何年か前のフネノフネ時代にかえったんでは意味が無い。戦争時代がまだよかったなん・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・これこそ、至難の事業であります。けれども、兄は、それが出来るかも知れない極めて少数のひとの一人だと思います。 無理なお願いでしょうけれどもお願いしてみます。私の為のお願いではありません。・・・ 太宰治 「政治家と家庭」
・・・思い出の暗い花が、ぱらぱら躍って、整理は至難であった。また、無理にこさえて八景にまとめるのも、げびた事だと思った。そのうちに私は、この春と夏、更に二景を見つけてしまったのである。 ことし四月四日に私は小石川の大先輩、Sさんを訪れた。Sさ・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・吹く風をなこその関という歌の心を一言でいい切る事が至難なのと同様に、どうも、親切な教訓ほど、一言で明示する事はむずかしいようである。先日、私が久しぶりで阿佐ヶ谷の黄村先生のお宅へお伺いしたら、先生は四人の文科大学生を相手に、気焔を揚げておら・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・作品で、大金を得るということは、なかなか至難のことであるから、私は、ほとんど、それを期待しない。あれば、あるだけの生活をするつもりだし、無ければ無いで、あわてないように、ふだんから、けちにけちに暮しているのだ。そうして居れば、なんにも欲しい・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・ しかしまた考えてみると一般相対性理論の実験的証左という事は厳密に言えば至難な事業である。たとえ遊星運動の説明に関する従来の困難がかなりまで除却され、日蝕観測の結果がかなりまで彼の説に有利であっても、それはこの理論の確実性を増しこそすれ・・・ 寺田寅彦 「相対性原理側面観」
・・・ 明治三十年の春明治座で、先代の左団次が鋳掛松を演じた時、鋳掛屋の呼び歩く声を真似するのが至難であったので、まことの鋳掛屋を招いて書割の後から呼ばせたとか云う話を聞いたことがあった。 わが呱々の声を揚げた礫川の僻地は、わたくしの身に・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・事の何たるを問わず自分の事をはっきり自分で判断することは至難である。谷崎君が批判の当れるや否やはこれを第三者に問うより外はない。紅葉先生は硯友社諸先輩の中わたくしには最も親しみが薄いのである。外国語学校に通学していた頃、神田の町の角々に、『・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
出典:青空文庫