・・・ お絹はちょいと舌打ちをしながら、浅川の叔母と顔を見合せた。「この節の女中はね。――私の所なんぞも女中はいるだけ、反って世話が焼けるくらいなんだよ。」 二人がこんな話をしている間に、慎太郎は金口を啣えながら、寂しそうな洋一の相手・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ 陳は太い眉を顰めながら、忌々しそうに舌打ちをした。が、それにも関らず、靴の踵を机の縁へ当てると、ほとんど輪転椅子の上に仰向けになって、紙切小刀も使わずに封を切った。「拝啓、貴下の夫人が貞操を守られざるは、再三御忠告……貴下が今日に・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・ 牧野はばたりと畳の上へ、風俗画報を抛り出すと、忌々しそうに舌打ちをした。……「かれこれその晩の七時頃だそうだ。――」 今までの事情を話した後、私の友人のKと云う医者は、徐にこう言葉を続けた。「お蓮は牧野が止めるのも聞かず、・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・と答えますと、泰さんはちょいと舌打ちをした気色で、「じゃ一度切って、またかけ直すぜ。」と云いながら、一度所か二度も三度も、交換手に小言を云っちゃ、根気よく繋ぎ直させましたが、やはり蟇の呟くような、ぶつぶつ云う声が聞えるのです。泰さんもしまい・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・と、兄の太郎さんは舌打ちをしました。「なにをいってんだい。僕いろいろな虫を採集して標本を造るんじゃないか。」 二郎さんは、はや、捕虫網を持ってきました。すると、突然お母さんが、「あのちょうを捕ってはいけませんよ。あの黒いちょうは・・・ 小川未明 「黒いちょうとお母さん」
・・・ 店先へ立ち迎えて見ると、客は察しに違わぬ金之助で、今日は紺の縞羅紗の背広に筵織りのズボン、鳥打帽子を片手に、お光の請ずるまま座敷へ通ったが、後見送った若衆の為さんは、忌々しそうに舌打ち一つ、手拭肩にプイと銭湯へ出て行くのであった。・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・霧のような雨がひやひやと襟頸に入るので、舌打ちして『星どころか』と微かに言ったが、荒々しく戸を閉めたと思うと間もなく家の内ひっそりとなってしまった。 国木田独歩 「郊外」
・・・さもうまそうに舌打ちして飲んでござった。『これでおれが一つ打つと一そう酒がうまいが。今に見ろ大きな奴を打って見せるぞ』、瓢箪を振って見て『その時のに残して置こうか。』 さて弁当を食いしまって、叔父さんはそこにごろりと横になった。この・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・ 私の黙っているのを見て、武はいまいましそうに舌打ちしましたが、『すぐ公然の女房になされ』『女房に?』『いやでござりますか?』『いやじゃないが、今すぐと言うたところで叔母が承知するかせんかわからんじゃないか』『叔母さ・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・桂正作は武士の子、今や彼が一家は非運の底にあれど、ようするに彼は紳士の子、それが下等社会といっしょに一膳めしに舌打ち鳴らすか、と思って涙ぐんだのではない。けっしてそうではない。いやいやながら箸を取って二口三口食うや、卒然、僕は思った、ああこ・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
出典:青空文庫