・・・碌さんは首を縮めて、えっと舌打ちをした。 一時間ほどで林は尽きる。尽きると云わんよりは、一度に消えると云う方が適当であろう。ふり返る、後は知らず、貫いて来た一筋道のほかは、東も西も茫々たる青草が波を打って幾段となく連なる後から、むくむく・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・何故あの火の中へ飛び込んで同じ所で死ななかったのかとウィリアムは舌打ちをする。「盾の仕業だ」と口の内でつぶやく。見ると盾は馬の頭を三尺ばかり右へ隔てて表を空にむけて横わっている。「これが恋の果か、呪いが醒めても恋は醒めぬ」とウィリアムは・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ 秋山は舌打ちをした。 ――奴あ、ハムマーを耳ん中に押し込んでやがるんだ、きっと、――そう思って、秋山は口を噤んだ。 秋山は十年、小林は三十年、坑夫をやって来た。彼等は、車を廻す二十日鼠であった。 彼等は根限り駆ける! する・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・と猫大将はその一匹を追いかけましたが、もうせまいすきまへずうっと深くもぐり込んでしまったので、いくら猫大将が手をのばしてもとどきませんでした。 猫大将は「チェッ。」と舌打ちをして戻って来ましたが、クねずみのただ一匹しばられて残っているの・・・ 宮沢賢治 「クねずみ」
・・・あたりのものが燃え出したかと思うような亢奮の後、高価な靴を何足か選び出してその女客が店を出るや否や、主人は舌打ち一つして、「チェッ! 畜生!……」と掠れ声を出す。「マア、女優ってところですな」 蔑んだ調子で番頭が合槌を打つ。・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
出典:青空文庫