・・・巣でつくった銭入れを売る店があったり、赤い硝子の軒灯に家号を入れた料理仕出屋があったり、間口の広い油屋があったり、赤い暖簾の隙間から、裸の人が見える銭湯があったり、ちょうど大阪の高台の町である上町と、船場島ノ内である下町とをつなぐ坂であるだ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・僕らが子供の頃、黒い顔の初代春団治が盛んにややこしい話をして船場のいとはんたちを笑わせ困らせていた「花月」は、今は同じ黒い顔のエンタツで年中客止めだ。さて、花月もハネて、帰りにどこぞでと考えると、「正弁丹吾亭」がある。千日前――難波新地の路・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・ 横堀筋違橋ほとりの餅屋の二階を月三円で借り、そこを発行所として船場新聞というあやしい新聞をだしたのは、それから一年後のことであった。俥夫三年の間にちびちび溜めて来たというものの、もとより小資本で、発行部数も僅か三百、初号から三号までは・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・新何とかいうのに書いたはりましたンは、あ、そうそう、船場の何とかいう題だしたな」 お内儀さんは小説好きで、昔私の書いたものが雑誌にのると、いつもその話をしたので、ほかの客の手前赤面させられたものだったが、しかし、今そんな以前の癖を見るの・・・ 織田作之助 「神経」
・・・まだ十七八の引きしまった顔の娘だが、肩の線は崩れて、兵古帯を垂れた腰はもう娘ではなかった。船場か島ノ内のいたずら娘であろうか。しかし、これでは西鶴の一代女の模倣に過ぎないと思いながら、阪口楼の前まで来た。阪口楼の玄関はまだ灯りがついていた。・・・ 織田作之助 「世相」
出典:青空文庫