・・・ただ船虫の影の拡ったほどのものが、靄に沁み出て、一段、一段と這上る。…… しょぼけ返って、蠢くたびに、啾々と陰気に幽な音がする。腐れた肺が呼吸に鳴るのか――ぐしょ濡れで裾から雫が垂れるから、骨を絞る響であろう――傘の古骨が風に軋むように・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・「洗濯をしたばかりだ、船虫は居ねえからよ。」 緋鹿子の上へ着たのを見て、「待っせえ、あいにく襷がねえ、私がこの一張羅の三尺じゃあ間に合うめえ! と、可かろう、合したものの上へ〆めるんだ、濡れていても構うめえ、どッこいしょ。」・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・が、『八犬伝』の興趣は穂北の四犬士の邂逅、船虫の牛裂、五十子の焼打で最頂に達しているので、八犬具足で終わってるのは馬琴といえどもこれを知らざるはずはない。畢竟するに馬琴が頻りに『水滸』の聖嘆評を難詰屡々するは『水滸』を借りて自ら弁明するので・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・私と同じようにおおかた午の糧に屈托しているのだろう。船虫が石垣の間を出たり入ったりしている。 河岸倉の庇の下に屋台店が出ている。竹輪に浅蜊貝といったような物を種にして、大阪風の切鮨を売っている。一銭に四片というのを、私は六片食って、何の・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ そこは、海に沈んでいる部分なので、ジメジメしていた。殊に、第三金時丸の場合では、海水が浸みて来た。 星の世界に住むよりも、そこは住むのに適していないように見えた。 船虫が、気味悪く鳴くのもそこであった。 そこへは、縄梯子を・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
出典:青空文庫