・・・鰻の寝床みたいな狭い路地だったけれど、しかしその辺は宗右衛門町の色町に近かったから、上町や長町あたりに多いいわゆる貧乏長屋ではなくて、路地の両側の家は、たとえば三味線の師匠の看板がかかっていたり、芝居の小道具づくりの家であったり、芸者の置屋・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・橋を渡り、宗右衛門町を横切ると、もうそこはずり落ちたように薄暗く、笠屋町筋である。色町に近くどこか艶めいていながら流石に裏通りらしくうらぶれているその通りを北へ真っ直ぐ、軒がくずれ掛ったような古い薬局が角にある三ツ寺筋を越え、昼夜銀行の洋館・・・ 織田作之助 「世相」
・・・按摩の笛の音も色町を除くの外近年は全く絶えたようである。されば之に代って昭和時代の東京市中に哀愁脉々たる夜曲を奏するもの、唯南京蕎麦売の簫があるばかりとなった。 新内語りを始め其他の街上の芸人についてはここに言わない。 その日その日・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・赤坂の色街のところのそういう人達の心持とロシア人の生活との錯綜。 ○宣教師 独逸人 赤ら顔の髪なし。 友人の宝石を売ルタメに呼んだ。日露懇談会で知ったとき、フイリッポフに信仰談をした。フイリッポフ信仰よりパンが欲しい。ダイアモンド八・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・遊女街の中央でただ一軒伯母の家だけ製糸をしていたので、私は周囲にひしめき並んだ色街の子供たちとも、いつのまにか遊ぶようになったりした。 二番目の伯母は、私たちのいた同じ村の西方にあって、魚屋をしていた。この伯母一家だけはどの親戚たちから・・・ 横光利一 「洋灯」
出典:青空文庫