・・・ ことに日暮れ、川の上に立ちこめる水蒸気と、しだいに暗くなる夕空の薄明りとは、この大川の水をして、ほとんど、比喩を絶した、微妙な色調を帯ばしめる。自分はひとり、渡し船の舷に肘をついて、もう靄のおりかけた、薄暮の川の水面を、なんということ・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・世間は恐怖の色調をおびた騒ぎをもって満たされた。平生聞ゆるところの都会的音響はほとんど耳に入らないで、うかとしていれば聞き取ることのできない、物の底深くに、力強い騒ぎを聞くような、人を不安に引き入れねばやまないような、深酷な騒ぎがそこら一帯・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・の町を歩いて居てよく見らるるものであった。枯々としたマロニエの並木の間に冬が来ても青々として枯れずに居る草地の眺めばかりは、特別な冬景色ではあったけれども、あの灰色な深い静寂なシャンヌの「冬」の色調こそ彼地の自然にはふさわしいものであった。・・・ 島崎藤村 「三人の訪問者」
・・・こんなものでも半年も戸外につるして雨ざらしにして自然の手にかけたら、少しは落ちついたいい色調になるかもしれないと思ったりした。実際洗いざらしの鉄道工夫の青服などは、適当な背景の前には絵になるものの一つである。ヴェニスの美しさも半分は自然のた・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・ この時代、小熊氏の活躍は量的に旺盛であったろうけれども、おのずから自身の生活も現実への無評価ということからアナーキスティックな色調を帯びざるを得なかったと思われる。 最後に近い年に到って、小熊さんは自身の言葉の才への興じかたも落ち・・・ 宮本百合子 「旭川から」
・・・榊山氏の文章は虚無的な色調の上に攪乱された神経と、破れて鋭い良心の破片の閃きとで或る種の市街戦の行われている国際都市の或る立場の人々としての現実を反映している。けれども、これらの文章の大体は、私たちが夜中にも立ち出て見送った兵士たちの生活と・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・ 徳田さんのもっている色調はきついチョコレートがかった茶色であり、それに漆がかっているような艷がある。風化作用に対して、いかにも抵抗力のきつい感じである。若さは、この人物のうちにあって、瑞々しいというようなものではなく、もっと熱気がつよ・・・ 宮本百合子 「熱き茶色」
・・・ 魯迅と作人との少年時代の思い出は、このように異った二つの色調をもっている。そのちがいは、後年の社会に対する態度にも及んでいることが肯ける。二つの性格が、この二人の作家にそれだけ違う境遇をもたらしたのだった。このちがいは中国で歴史の波が・・・ 宮本百合子 「兄と弟」
・・・芥川龍之介は、それらのテーマを何故、殊更絵巻風の色調に「地獄変」として書かなければならず、侘びの加った晩年の馬琴の述懐として行燈とともに描き出されなければならなかったのだろうか。 芥川龍之介という作家は、都会人的な複雑な自身の環境から、・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・はやわらかいクレパスで、暖かい色調の紅い線で描かれた人生の歴史的時機のクロッキーとも云える作品である。省略され、ときには素早い現実の動きをおっかけた飛躍のあるタッチで、重吉とひろ子という一組の夫婦が、一九四五年の日本の秋から冬にかけてのめを・・・ 宮本百合子 「解説(『風知草』)」
出典:青空文庫