・・・美しい五月の自然白雲の湧く空のすがたほのかに 芳香をまき少女のように咲きみつる薔薇花。されど ときには 指もたゆく心もなえて 足もとを見るあわれ わが井戸の 小車いつも いつも くるめくと。くるめく ・・・ 宮本百合子 「五月の空」
・・・ 地殻から立ちのぼるあらゆる騒音や楽音、芳香と穢臭とは、皆その雲と空との間にほんのりと立ちこめて、コロコロ、コロコロと楽しそうにころがりながら、春の太陽の囲りを運行する自分達の住家を、いつも包んでいるように思われる。 二本の槲の古木・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・そして、これまで余り古典にふれなかった文化層の人々がとりいそぎそういうものにとりついて行って、それらの芸術の逸品に籠っている高い気品、精魂、芳香に面をうたれて、今更に古典の美を痛感すると一緒に分別をも失って、それぞれの芸術のつくられた環境の・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・九分通り咲きこぼれた大輪の牡丹は、五月の午前十一時過ぎの太陽に暖められ頭痛がするほど強い芳香を四辺に放っている。幸雄は蘂に顔を押し埋めつつその香を吸い込んだ。 ほほけ立った幸雄の黒い後頭部を見ていた石川は、うっかりしていたが不意に不安に・・・ 宮本百合子 「牡丹」
・・・決して、たっぷりと開花し、芳香と花粉とを存分空中に振りまいて、実り過ぎて軟くなり、甘美すぎてヴィタミンも失ったその実が墜ちたという工合ではない。謂わば、条件のよくない風土に移植され、これ迄伸び切ったこともない枝々に、辛くも実らしいものをつけ・・・ 宮本百合子 「よもの眺め」
出典:青空文庫