・・・彼も家の出入には、苗床が囲ってあったりする大家の前庭を近道した。 ――コツコツ、コツコツ――「なんだい、あの音は」食事の箸を止めながら、耳に注意をあつめる科で、行一は妻にめくばせする。クックッと含み笑いをしていたが、「雀よ。パン・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・どうかすると細かく密生した苗床を草履か何かですりつぶしたりする。すっかり失敗した翌年は特別な花壇を作る代わりにところどころ雑草の間の気のつきにくそうな所へ種をまいたり苗を植えたりしてみたがやはりだめであった。だれとも知れぬ侵入者は驚くべき鋭・・・ 寺田寅彦 「路傍の草」
・・・ あんまり雑草にはびこられたので、十本ほどあったカアネーションは消えたものと見えて、何処にも見あたらない。 苗床と苗床との間を一杯にコスモスがひろがって居るから入って見る事も出来ない。 今の分では花などは咲きそうにもないから一層・・・ 宮本百合子 「後庭」
・・・ヒューマニズムという豊穰な苗床さえ当時日本の文芸評論から理論性が消滅しつつあるという重大な危機を好転させ得なかった事実を思いあわせれば、長篇小説、社会小説が本質的な現実把握と文学的実践力を包蔵し得ないままに、ジャーナリズムの場面を賑わした必・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
出典:青空文庫