・・・帝都座の裏の若松屋という、バラックではないが急ごしらえの二階建の家も、その一つであった。「若松屋も、眉山がいなけりゃいいんだけど。」「イグザクトリイ。あいつは、うるさい。フウルというものだ。」 そう言いながらも僕たちは、三日に一・・・ 太宰治 「眉山」
・・・という文句の脇に「藤沢停車場前角若松の二階より」とした実に下手な鉛筆のスケッチがある。 逗子養神亭から見た向う岸の低い木柵に凭れている若い女の後姿のスケッチがある。鍔広の藁帽を阿弥陀に冠ってあちら向いて左の手で欄の横木を押さえている。矢・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・自余大和屋、若松、桝三河ト曰フモノ僉創立ノ旧家ナリト雖亦杳ニ之ニ劣レリ。将又券番、暖簾等ノ芸妓ニ於テハ先ヅ小梅、才蔵、松吉、梅吉、房吉、増吉、鈴八、小勝、小蝶、小徳們、凡四十有余名アリ。其他ハ当所ノ糟粕ヲ嘗ムル者、酒店魚商ヲ首トシテ浴楼箆頭・・・ 永井荷風 「上野」
・・・(因 私は北九州若松港に生まれて育ったので、小さいときから海には親しんだ。泳ぎも釣りも好きだった。その釣りの初歩のころ、やたらに河豚がかかるのであきれたものである。河豚は水面と海底との中間を泳いでいるし、食い意地が張っているので、エサを・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・、という確信を得た時代であった。 明治はじめの自由民権が叫ばれて、婦人がどしどし男子と等しい教育をうけ、政治演説もし、男女平等をあたり前のことと考えた頃、日本では、木村曙「婦女の鑑」、若松賤子「忘れ形見」などの作品が現れた。若い婦人とし・・・ 宮本百合子 「明日咲く花」
海辺の五時夕暮が 静かに迫る海辺の 五時白木の 質素な窓わくが室内に燦く電燈とかわたれの銀色に隈どられて不思議にも繊細な直線に見える。黝みそめた若松の梢にひそやかな濤のとどろきが通いもしよ・・・ 宮本百合子 「海辺小曲(一九二三年二月――)」
・・・ 十二日 博物館、展覧会、活動、 十四 グランパに招かれて若松から、リデムプションを見る。 十五 未来の仕事についての議論 十六 第三木曜会へ一緒に行く、寒い日、かえりに一〇丁目の角でお茶をのむ、始めて・・・ 宮本百合子 「「黄銅時代」創作メモ」
昔、明治の初期、若松賤子が訳した「小公子」は、今日も多くの人々に愛読されている。若松賤子がこの翻訳を思い立ったのは、愛する子供たちに、清純で人間の精神をたかめる読みものをおくりものとしたい、という心持からであったことが記さ・・・ 宮本百合子 「子供のためには」
・・・◎若松に入ってゆく、奥へゆく。右手に若い男二人こっち側、あっち側に緑郎鶴「いとこさんがいるよ」見ると、しきりに何か喋っている一人がしきりにこっちを見ている、やがて気がつく。笑う。やがて緑 帽子をぬぐ。鶴「あのひと・・・ 宮本百合子 「情景(秋)」
・・・ 巖本真理のおばあさんは明治初期の婦人英学者若松賤子である。このひとには「小公子」の名訳がある。おじいさんの巖本善治は、明治初期の進歩的女子教育家であった。おかあさんは、多分アメリカの婦人だったように思う。二十三歳の才能ゆたかなヴァイオ・・・ 宮本百合子 「手づくりながら」
出典:青空文庫