・・・みな黝んだ下葉と新しい若葉で、いいふうな緑色の容積を造っている。 遠くに赤いポストが見える。 乳母車なんとかと白くペンキで書いた屋根が見える。 日をうけて赤い切地を張った張物板が、小さく屋根瓦の間に見える。―― 夜になると火・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・闌けた若葉がおのおの影を持ち瓦斯体のような夢はもうなかった。ただ溪間にむくむくと茂っている椎の樹が何回目かの発芽で黄な粉をまぶしたようになっていた。 そんな風景のうえを遊んでいた私の眼は、二つの溪をへだてた杉山の上から青空の透いて見える・・・ 梶井基次郎 「蒼穹」
・・・前夜の雨がカラリとあがって、若草若葉の野は光り輝いている。 六人の一人は巡査、一人は医者、三人は人夫、そして中折れ帽をかぶって二子の羽織を着た男は村役場の者らしく、線路に沿うて二三間の所を行きつもどりつしている。始終談笑しているのが巡査・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・一つは枯れて土となり、一つは若葉萌え花咲きて、百年たたぬ間に野は菫の野となりぬ。この比喩を教えて国民の心の寛からんことを祈りし聖者おわしける。されどその民の土やせて石多く風勁く水少なかりしかば、聖者がまきしこの言葉も生育に由なく、花も咲かず・・・ 国木田独歩 「詩想」
・・・中庭の青桐の若葉の影が拭きぬいた廊下に映ってぴかぴか光っている。 北の八番の唐紙をすっとあけると中に二人。一人は主人の大森亀之助。一人は正午前から来ている客である。大森は机に向かって電報用紙に万年筆で電文をしたためているところ、客は上着・・・ 国木田独歩 「疲労」
・・・其時自分は目を細くして幾度となく若葉の臭を嗅いで、寂しいとも心細いとも名のつけようのない――まあ病人のように弱い気分になった。半生の間の歓しいや哀しいが胸の中に浮んで来た。あの長い漂泊の苦痛を考えると、よく自分のようなものが斯うして今日まで・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・皮の剥げたほど古い欅の若葉を通して、浅間一帯の大きな傾斜が五月の空に横わるのも見えた。矢場の後にある桑畠の方からはサクを切る百姓の鍬の音も聞えて来た。そこは灌木の薮の多い谷を隔てて、大尉の住居にも近い。 学士は一番弱い弓をひいたが、熱心・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・紅梅は花が散ってしまっていて青青した葉をひろげ、百日紅は枝々の股からささくれのようなひょろひょろした若葉を生やしていた。雨戸もしまっていた。僕は軽く二つ三つ戸をたたき、木下さん、木下さん、とひくく呼んだ。しんとしているのである。僕は雨戸のす・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・ふるさとでは、椎の若葉が美しい頃なのだ。私は首をふりふりこの並木の青葉を眺めた。しかし、そういう陶酔も瞬時に破れた。私はふたたび驚愕の眼を見はったのである。青葉の下には、水を打った砂利道が涼しげに敷かれていて、白いよそおいをした瞳の青い人間・・・ 太宰治 「猿ヶ島」
樹々の若葉の美しいのが殊に嬉しい。一番早く芽を出し始めるのは梅、桜、杏などであるが、常磐木が芽を出すさまも何となく心を惹く。 古葉が凋落して、新しい葉がすぐ其後から出るということは何となく侘しいような気がするものである。椿、珊・・・ 田山花袋 「新茶のかおり」
出典:青空文庫